一升瓶に土をつめて素振りをしていた
でも相変わらず貧乏で、道具は払い下げ。ユニフォームも先輩から譲ってもらった。1日4本くらいの汽車に乗って通学していたから、アルバイトをする時間もないですよ。一升瓶に土をつめて素振りをしていた。
高校を卒業しても野球を続けようとは思っていた。おれは小さいときから巨人ファンだったんだが、一コ上の藤尾茂さんという強肩強打の俊足が巨人に入ってね。藤尾さんに勝てるわけないと思って巨人を諦めた。そのうえで全プロ球団から20代がレギュラーのキャッチャーをやっていないところを探した。それが南海と広島だった。その2球団の新人テストを受けて駄目だったら、社会人野球で、という方針をたてていた。
そんなある日、新聞に南海のテストに関する広告が載っていたんだ。ただ、大阪まで行く汽車賃がなかった。それで野球部の部長に「先生、新聞にこんなの載っているんですよ……」と相談したんだ。そうしたら「行ってこい、行ってこい、おれが汽車賃を出してやるよ」って背中を押してくれた。
汽車賃借りて、テスト受けに行って、それで合格できた。
びっくりしかないんだよ。兄貴といい、野球部の部長といい、こう考えると、俺の野球人生はいつも首の皮一枚でつながっていたんだな。「合格することもあるんだなぁ」なんて思っていたんだが、これには後日談があった。
テストで合格したのは7人。うち2人がピッチャー。キャッチャーは4人。明らかにポジションのバランスがおかしい。
プロになって、あまりにも試合で使ってもらえないものだから、ある日2軍のキャプテンの部屋に行って「われわれの筋ってどうなんでしょうか」って聞いた。そうしたらキャプテンにこう言われたんだ。
「がっかりするなよ。あとは自分で決めろ。テスト生で1軍に上がったやつなんて1人もいないよ。プロはピッチャーがたくさんおるやろ。その絶対数、キャッチャーが必要なんだ。おまえら、ブルペンキャッチャーとして採用されたんだ」
もうショックもショック。よく見たらキャッチャーは4人とも田舎出身。和歌山やら熊本やら……、どうやら、擦れている都会の子と違って、田舎者のほうが純粋で、真面目に頑張ってくれるだろうと。球団にはそんな固定観念と先入観があったようだ。ちなみに2人のピッチャーもバッティングピッチャーとしての採用だったそう。