高校には行きたかったが、実はそれも難しかった。ある晩、夕飯を兄貴、おふくろと3人で食べているとき、おふくろにこう言われたんだ。「おまえは勉強ができん。中学の義務教育で終わりにしてくれ。兄ちゃんも高校卒業して、あんたも中学卒業して2人で働いて、おかあちゃんを助けてくれなんだら、どうにもならん」って。

そうしたら、兄貴が助けてくれた。

「男の子だから高校ぐらいはやっといてやんないと、こいつが社会に出てから苦労するよ」と。

3つ上の兄貴はすごい勉強できたんや。勉強一筋。あんな勉強好きな人は珍しいと思う。母親にも「勉強ばかりしていたら体を壊す」って心配をされていた。一方でおれには「勉強せぇ、勉強せぇ、遊んでばかりいないで勉強せぇ」と真逆ですわ。

野球をさせてくれたふたりの大恩人

兄貴は大学に行くつもりだったらしいが「大学行くの諦めて、2人分働くから」とおれを高校に行かせようとした。その一言で高校に行けたんだ。

兄貴と一緒の峰山高校に進学した。地元にも高校はあったんだけど、あまり評判のいい高校じゃなかった。兄貴は「おまえ、野球やりたいんなら、峰山高校の工業科に行け」と言ってな。「学校入って、そうしたら鐘紡淀川(社会人野球の名門カネボウ)につながっている。先輩がもう何人か行っているから、その道を選べ」って。そこまで見据えていた兄貴には参る。一回聞いたことがあるんだ。「兄貴、おれの野球の素質、見抜いていたのか」って。そしたら「プロの選手になるとは思っていなかったが、いい素質だとは思っていた」だってよ。

兄貴は高校を卒業して就職したんだけど、おれが高校出たら夜学の大学に行ったのよ。兄貴に「そんなに勉強楽しいの?」って聞いたことがあるんだけど、兄貴、「楽しいよ」って言うんだよね。おれは思わず「ええー……」と言葉を失ったよ。

そんな兄貴のあとに同じ高校に行くのは大変だった。兄貴は勉強一筋。暇さえありゃ机に向かうんだけど、おれは暇さえありゃ外で遊んでいた。高校ではずっと兄貴と比較された。「お兄さんはようできたのに」「野村くんも頑張りゃできるんだよ、クスッ」っと。頭くるわ。

さて、晴れて高校には行けたんだが、野球をやるのは大変だった。母親に反対されてな。今度は野球部の部長に助けられた。

部長は実家まできてくれて。「私が父親代わりをします。野村くんには野球の素質があるから、やらせてあげてください。もし3年やってダメなら、私が責任を持って就職のお世話をします」。そうやって母親を説得してくれた。「そこまで言ってもらえるなら先生にお任せします」って。それで野球ができた。ただ、野球部の部長、野球のヤの字も知らない人だったんだよなぁ……。