地道な下積み時代ハワイのチャンス

そのときはもう帰ろうと考えたよ。でも、どうせクビになるなら、納得してクビになろうと思い留まった。

だから、とにかく素振りをした。みんなプロになると、契約金をもらえるし、給料も一般の人よりもいいし、そうなると、もう覚えるのは酒と女だ。夜中、合宿所に残っているのはおれとマネジャーだけ。みんな遊びに行っちゃって。お金というのは駄目だよ。人間を変えちゃう。お金の魔力。

おれは給料安くて、遊ぶ金なんてなかった。背広を買えなくて、2年も学生服を着ていた。それにおれは酒も飲めない。

しかし今思えばそれがよかった。もうバットを振るしかない。静まり返った合宿所の庭で、ひたすらバットに耳を傾け続けたんだ。

いいスイングをすると「ブッ」と短い音がする。「ブウッ」っていう長い弱い音じゃ駄目。それを耳で確認しながら素振りをしていると、あっという間に1時間、2時間もたってしまう。

先輩にはよく冷やかされた。

「バット振って1軍になれるなら、みんな1軍になっているよ。この世界はな、才能だよ。素質だよ。着替えてこい。きれいなねえちゃんがおるぞ」

そんなこと言われたら、グラグラってくるよ。男だもの。でもやっぱり銭がねぇ。バット振るしかないわね。

だから手にマメをつくって、寝るんだ。そうしたらある日、2軍監督が「全員手を出せ」と言ってマメの検査があったんだよ。みんな「なんだこの手は」って怒られている中で、俺の番になったときに「おお野村、いいマメつくってるな。みんな見ろ、これがプロの手だ」って褒めてもらったんだよ。

そう言って褒めてもらったらうれしいじゃん。だから、また素振りをして、マメをつくったんだ。

キャッチャーとしても頑張った。おれは肩が弱かったんだよ。毎日練習後に遠投をしていたけど、「肩が強い」「足が速い」は天性だから、もう強くはならなかった。だからその分、速く投げようと、そんな練習ばかりしていたのだよ。

というか、恥ずかしながら自分はボールの握り方すら知らなかったんだ。いまでいうツーシームの握り方でボールをほうっていたもので、ボールがスライドしたり、シュートしたり。ある日1軍の先輩に「どないにボール握っているんや」って言われて握り方を見せたら「ばかたれ。プロのくせに握り方も知らんのか」って。先輩の言うとおりにフォーシームで投げたら、まっすぐいった。峰山高校には野球を教えてくれる人なんて1人もいなかったからな。