プロ3年目になると、もうそのときにはテスト合格者はおれ以外全員クビになっていた。なぜだろうな。2軍の監督に気に入られていたのかな。こいつはモノになる、と。
そして転機はその年にきた。2年目に1軍が優勝して、そのご褒美で「ハワイでキャンプ」という企画があったんだ。それでブルペンキャッチャーを1人連れていくことになって、おれが選ばれた。
そのころは海外なんて一般社会でもあまり行かなかった。まだプロペラ機しか飛んでいない時代で、ホノルルでもウェーク島に一回降りて、給油してからハワイに入るという時代。もうみんなうれしくてしょうがないわけだ。
ハワイでの練習が終わって、いよいよオープン戦となった。その日、レギュラーの松井淳さんが「肩が痛い」と休んだので当然、2番手の小辻英雄さんがオーダーに入ると思っていた。そしたらこの2番手、男前でね、ハワイで遊びほうけちゃって。それを監督が知ってな。
「おまえは分をわきまえないで、遊びほうけやがって、日本帰ったらクビだ」と怒られていた。そしてヤケクソ気味に「もういい、野村、おまえ行け」と仰せつかった。
王、長嶋、サッチー、そして息子・克則へ
そしたら、相手のハワイのチームがただの地元の寄せ集めでね。レベルが低かったもので大活躍できたんだ。それで日本に帰ってな、監督が記者会見で「ハワイキャンプは大失敗だった。ただ、ひとつ収穫があった。野村に使えるめどがついた」と発言したんだ。これはうれしかったね。
でも日本に帰ってきて、オープン戦で使ってもらえたんだが、なかなか打てないんだよ。日本とハワイじゃレベルが違うから。二十何打席ノーヒット。でも二十何打席目でやっと初ヒット。ヒット1本出るとほっとするんだわ。そうすると1シーズン、リラックスできた。監督はほんま懲りずによう使ってくれた。何を見込んで使っていたのかは定かではないが。
それで4年目でレギュラーをとった。でもそれでお金が入って、気が緩んでしまった。5年目、6年目は駄目だったよ。やっぱりお金は人を変えるね。
そこから苦労して、苦労して、10年目で52本の本塁打を打って新記録を作っちゃった。あぁ、これであと10年ぐらいは持つなと思ったんだが。それなのに次の年、王に簡単に抜かれちゃった。このやろう、おれの価値を下げやがって。王さえいなければ、全部おれが一番だったのに。
でも面白い記録がある。意外に王が悪い記録だ。オールスター戦でおれがキャッチャーとして王と戦った数十打席、1度も王にヒットを打たせなかった。オールスターしか仕返しする場がないので、「王はこう抑えるんだ」って気概でやったが誰も評価してくれない。
長嶋は、あれはもう天才。おれも攻略法を見つけられず。それ以外言うことなし。彼のことは、別にライバルとは思っていなかったよ。