「信用」することもひとつの能力
同調査では、ネットで知り合う人の信頼度についても国際比較しています。
「SNSで知り合う人のほとんどは信用できる」と回答した日本人はわずか12.9%ですが、米国は64.4%、英国は68.3%に達します。逆に日本人の87.1%は「あまり信用できない」「信用できない」と答えており、ネット空間で知り合う相手に対して信用していないという現実が浮き彫りになっています。
実は、他人を信用できないという話はネット空間に特有のものではありません。
ネットかリアルかは区別せず「ほとんどの人は信用できる」と回答した日本人はわずか33.7%しかおらず、その割合は各国の半分となっています。つまり日本人は基本的に他人を信用しておらず、ネット空間ではその傾向がさらに顕著になっているにすぎないわけです。
日本人は猜疑心が強く、他人を信用しないという話は、海外でビジネスをした経験のある人なら、実感として理解できるのではないでしょうか。
米国は契約社会といわれていますが、それは一部のカルチャーを極端に解釈したものにすぎません。米国では意外と信用ベースで話が進むことが多く、後になって金銭的に揉めることもそれほど多くありません。中国に至っては、いったん信頼関係ができると、ここまで信用してよいのだろうかというくらいまで、相手から信用してもらえることすらあります。
狭い範囲で顔を合わせて経済活動する日本人
日本人や日本社会がグローバル化できないのは、英語などの問題ではなく、他人を信用できないという性格が大きく影響している可能性があります。経済活動において、相手を信用できないことによって生じるコストは膨大な金額になりますから、日本は多くの富を失っているのです。
信用できない相手と取引するリスクを軽減するためには、多額の調査費用をかけて相手を調べたり、すべての案件で契約書を作成するといった作業が必要となり、時間とコストを浪費します。これを回避するには、よく知っている相手だけに取引を絞り、狭い範囲で顔を合わせて経済活動するしか方法がなくなってしまうでしょう。
日本企業の中には、昔からの取引先以外とは取引しない、資本関係のある下請け会社にしか発注しないというところも多いのですが、こうした商慣習というのは、よく知った相手とだけ取引することでリスクを回避しているわけです。
しかしながら、特定の相手とだけ取引を続けていると、馴れ合いが生じやすいですし、何より、もっと好条件で取引できる相手がいたとしても、それを排除するメカニズムが働いてしまいます。こうした環境では十分な市場原理が働かず、結局は多大なコストを支払う結果となるのです。先ほどテレワークについて言及しましたが、信用できない性格が、日本においてテレワークが浸透しない原因のひとつになっている可能性は十分にあるでしょう。