そんな穏やかな日々を過ごす中で気持ちに変化が。

3連覇に挑戦できるのは僕だけ

「競技の世界から離れたことで、自分にとって柔道がどんなものだったのか、思い出しました。子供の頃は体がちっちゃくて弱かった。誰にも期待されず、誇れるものがなかった。でも大好きな柔道だけは頑張れたし、その努力が報われるたびに自信がついて、自分が好きになれた。それは逃げずに、諦めずに挑戦し続けたから得られたものです。そして、3連覇に挑戦できるのは僕だけ。それも今しかできない。そう考えたとき、やろうと決めました」

モチベーションが上がらなければ、擦り切れる前に1度立ち止まる。「僕にはそれがよかったんだと思います」と野村さんは述懐する。

「今は情報が溢れています。だからこそ自分が本当に必要としているものを知ることが大切です。それでいうとONとOFFの切り替えがうまい人は強いと思います。頑張るのは当たり前で、そのためには普段から自信を持って休めるだけの取り組みをしないと」

復帰を後悔したこともある。約2年に及ぶブランクからアテネを目指し復帰した野村さんを「勝てない」現実が待ち受けていた。すでに28歳。柔道家としてはベテランの域であり、肉体の衰えは顕著。「野村は終わった」の声がいやでも耳に届いた。

「自分の決断が間違いではなかったことを証明するには、結果を出すしかない。勝てない現状を受け入れて新しい自分をつくるしかない。それら全部が、モチベーションでした。モチベーションなんて、そのへんに転がっているんです。僕の場合は子供の頃、負けを知ってからの悔しさが一番のモチベーション。見とけよ、というね」

そして迎えたアテネ五輪は、初戦から準決勝まで一本勝ちを続ける圧勝だった。野村さんいわく、同じ金でも意味するところは3つすべて違う。アトランタは心技体の「体」で獲った金メダル。シドニーは「技」で獲った金。そしてアテネは「心」で獲った金だった。かつての「圧倒的に強くて生意気だった野村とは違う自分」がアテネにはいた。

「柔道家としての総合力でいえばシドニーの頃が一番だったと思います。でもシドニー後、選手として地に落ちてから這い上がった、信念を貫きやるべきことをやった、そんな自負が心を強くしてくれたと思います。アテネの畳に立ったときは不思議な感覚がありました。怪我も抱え、体には衰えが出ているはずなのに負ける気がしなかった。対戦相手全員が、僕を恐れているように見えましたから」

野村忠宏(のむら・ただひろ)
柔道家・オリンピック金メダリスト
柔道でアトランタ、シドニー、アテネオリンピックで3連覇を達成。2015年、40歳で現役を引退した後は国内外で柔道の普及活動をするかたわら、キャスターやコメンテイターとしても活躍中。東京2020聖火リレー公式アンバサダー。
(撮影=和田佳久 写真=時事通信フォト、Getty Images)
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