教員を心から慕っている思いがひしひしと感じられる
ちなみに、麻布の教員の中で麻布出身者は全体のおよそ8分の1程度らしい。平先生によると、麻布生たちはある意図を持って敢えて教員と対立してみせることもあるのではないかと指摘する。
「文化祭でも運動会でも生徒たちで組織される実行委員会が責任を担います。一応、教員が監督はするのですが。でも、自分たちで好きなように運営したいという思いが強い。さらには、下級生の支持も集めなくてはいけない。そういうところでポーズとして教師に『敵対』してみせるということがあるのでしょう。『教師の言いなりになんか俺はならないぜ』というのはある意味『利益的』な側面からくるのでしょう。そのポーズが内部結束につながることがありますしね」
しかし、である。麻布の卒業生たちに取材をして、在学中の思い出話をしてもらうと、そこには必ずといっていいほど、教員の固有名詞(そのほとんどが渾名)が登場するのである。彼らが教員を心から慕っている思いがひしひしと感じられたのだ。
「舐めてかかっているように見えても絶対的な敬意を持っていた」
卒業生の一人は教員に次のような思いを抱いていた。
「麻布生を観察していて思ったのは、どんなに先生を舐めてかかっているように、あるいは、どんなにバカにしているように見えても、それぞれの先生に凄いところがあるというのはみんな分かっているので、その部分については絶対的な信頼、敬意は持っています」
何人もの麻布卒業生に取材して感じたことだが、彼らは一様に口調がフランク、悪く言えば生意気な雰囲気があったのだが、不思議なことにそれが彼ら独特の愛嬌になっていて、決して悪い感じは受けない。
そう口にしたら、一人の卒業生が微笑んだ。
「それ、言われて一番嬉しいことです。麻布生って『嫌われない程度のフランクさ』は中高生活の中で身につけるようになっていますね。どうしてだろう……」