大企業の中で30代で社長になった
【阿久津】私は栃木の田舎育ちで、公務員の父からは「公務員になれ」と言われてきたのですが、高卒の父が学歴で苦労する姿を見て、民間で実力勝負がしたいなと。大学で上京して、アルバイトを始めたのが立川の駅ビル「グランデュオ立川」のグロッサリー売り場。そこで駅の商売にポテンシャルを感じたことが、小売りに興味を持ち始めたきっかけでした。
【田原】何に興味を持ったの?
【阿久津】駅は朝と夕方でニーズが違って、普通の市中の路面店とはまったく違う動きをするんです。ある宗教施設のイベントがあると突然お供えものが飛ぶように売れたりする。非常に変化が大きい売り場であることが面白かったですね。
【田原】でも、小売りじゃなくて鉄道会社に入社する。どうして?
【阿久津】グランデュオにJR東日本の社員が出向で何名かいて、「入社試験を受けてみたら」と誘われたのがきっかけです。JRは鉄道業だと思っていたのですが、聞くと鉄道事業採用のほかに生活サービス事業採用もあった。駅のビジネスに魅力を感じていたので、そちらの枠で04年に入社しました。
【田原】入社後は?
【阿久津】生活サービス採用ですが、最初は鉄道の勉強も必要で、半年間、盛岡駅で研修を受けて実際に駅の仕事をやらせてもらいました。その後、JR東日本リテールネット、つまり旧キオスクに本配属されました。JR東日本リテールネットは「ニューデイズ」という駅ナカのコンビニを運営していて、私は大宮、東川口、南与野で副店長や店長を経験させてもらいました。大宮は通勤のターミナル店、東川口は埼玉スタジアム2002の最寄りで、サッカーの試合がある日はおにぎりをタワーのように積み上げる店、南与野は住宅地。それぞれ特徴が違う店舗を経験させてもらって勉強になりました。
【田原】それから?
【阿久津】ニューデイズは2年半くらいで、その後は駅に出店する専門店の開発に携わりました。その後、自販機の仕事をやって、10年に青森に行きます。
【田原】青森?
【阿久津】10年12月に東北新幹線が新青森まで延伸したのですが、そこでJRと青森県で観光に資する事業をやろうという話になり、青森駅前でリンゴを使ったお酒をつくる工房とお土産売り場の複合施設「A-FACTORY」をつくることに。
【田原】リンゴのお酒って、阿久津さんがつくったの?
【阿久津】いえ、リンゴのお酒はシードルと言いますが、当然、知識やノウハウは何1つありません。地元のいろんな方とお話をして、酒造会社から若い人を出してもらったりして、なんとか製品化に漕ぎつけました。青森には5年間いて、3年目にやっと黒字転換。ベンチャー的な働き方をしたのは初めてで、これもいい経験になりました。
【田原】その後、本社に戻られる。