ワンピース作者は絶対面白い
ネタの出来は、お互いまあまあでした。長田君のネタがとても面白かったらどうしようと思っていたので、ちょっとホッとしましたね。長田君が書いたのは漫画家ならではのネタで、僕が書いたのは、普通の漫才師さんがやるようなネタでした。それを知り合いの芸人さんに見てもらったところ、漫画家がやるなら漫画家らしいネタをやった方がいいというアドバイスもあり、長田君のネタを育てていくことにしました。作り込んでいくうちに、元のネタとは全くちがう感じになりましたけど。
ネタの打ち合わせは、喫茶店やカラオケBOXなどでやりました。2人のテンポが結構ちがっていて、僕は早くて長田君はゆっくりなんです。2人のテンポを合わせるには、歩きながらやった方がいいという話を聞いて、井の頭公園の池の周りを2人で歩きながらネタ合わせをしたりもしました。
ネタは、僕が「どうも、尾田栄一郎です」(大人気漫画『ワンピース』の作者)と挨拶するボケではじまります。でも、そもそも僕が誰なのかを知らないお客さんばかりなので、全くウケませんでした。当の尾田君は喜んでくれたみたいです。怒っていなくてホッとしました。もし尾田君がお笑いをやったら? 漫画家として面白いことは考えられるでしょうから、尾田君が本気になったら、すごく面白いと思いますよ。
漫才がウケると「どっ」という言葉が押し寄せる
M-1に出る前は、舞台を体験することで、いろいろなことを吸収できるだろうなと思っていたんですけど、実際に出てみると、とんでもなく緊張して、それどころではなかったです。それよりも、取材で楽屋に入らせてもらったり、袖から見ていたりした方が、よほど勉強になります。
それでも、実際に舞台に立ってみて、笑い声の浴び方とかを体感できたことは大きかったですね。『べしゃり暮らし』では、漫才がウケた時に「どっ」という言葉で表現してきたんですが、それが間違っていなかったことがわかり、自信をもって描けるようになりました。
もともと子どもの頃からお笑いが大好きで、しゃべりがうまかったら芸人さんになりたかったくらいなんです。だから、最初の連載漫画だった『ろくでなしBLUES』が終わった時点(1997年)で、次は『べしゃり暮らし』を描こうと思っていました。
でも、連載していた『週刊少年ジャンプ』の当時の副編集長から「お笑いは絶対漫画では無理だ」と却下されました。「もう一本ハードなやつを描いた後だったらいいよ」と言われて、次に描いたのが野球漫画の『ROOKIES(ルーキーズ)』でした。