弟が生まれた頃から家庭内で四面楚歌に
それが変わり始めたきっかけは、下に弟ができたことだった。弟が生まれると、母親の態度が明らかに変わってしまった。まだ小学校に上がるか上がらないかだったが、母親の眼中に自分がないことを、Tさんは感じるようになった。
それでも、祖母が生きていた間は、まだましだった。小学校二年の三学期、Tさん姉妹の後ろ盾となってくれていた祖母が亡くなった。祖母がいなくなると、Tさんに対する継母の態度は、目に見えて冷たいものとなった。
さらに、追い打ちをかけたのは、父親の会社の経営悪化だった。継母にしてみれば、子どもがいるバツイチの男にわざわざ嫁いできたのは、金に不自由はさせないという言葉に惹かれたからでもあった。それが、とんだ空約束となった今、騙されたという怒りが、Tさんへの冷たい仕打ちとなって表れたようだった。
何かあるごとに、継母はTさんの陰口を夫や周囲に言うようになり、それを真に受けた父親から、事情も聞かずに、いきなり怒鳴りつけられたり、折檻されるようになった。下の弟に対する態度とのあまりの違いに、悲しくなって、ベッドでひそかに涙することもあった。いつしか継母や父親の顔色をうかがうようになっていた。
かつての快活な少女が、不注意でぼんやりした女性に
Tさんは早く家を出ることを考えるようになり、全寮制の中学に進みたいと言うと、継母と父親は顔を見合わせ、あっさり許してくれた。やはり自分のことが邪魔で、出ていってほしかったのかと悲しく思いもしたが、Tさんの成績が優秀なことだけは、両親も喜んでくれていたので、引き続き勉強を頑張って、継母が常々口にする旧帝大系の大学に入り、認めてもらうしかないと学業に打ち込んだ。
週末には自宅に帰るのが普通だったが、継母の不機嫌な顔を見るのがつらく、寮で過ごすことが増えた。ほしいものがあっても、お金のことを言い出せず、友だちに借りたりした。かと思うと、金欠病に苦しんでいるというのに、高い本や洋服を衝動的に買ってしまうこともあり、後で本当に困った。
寝る間も惜しんで頑張るのだが、落ち込んでしまうと、二、三日、動けなくなるということが、しばしばみられるようになった。不注意な忘れ物をしたり、提出物が期限に間に合わないということが目立つようになったのも、中学、高校くらいからである。
かつての生き生きして、活発で、しっかりしていた少女は、どこか薄ぼんやりして、物思いに沈み、陰気なところのある女性に変わっていった。忘れ物、遅刻、不注意なミスは、その後、いくら気をつけても、良くなるどころか、段々ひどくなった。
それでも、高校は、その地方で三本の指に入る名門校に進んだ。大学も、地元の国立大学なら医学部も受かると言われたが、継母が地元の大学をいつも貶しているのを知っていたので、旧帝大系でなければダメだと思い、無理をして受験するも、不合格に。もう一年挑戦したが、体調も優れず、受験に失敗。
結局入学したのは、東京にある私立大学だった。結果を報告すると、案の定、継母からは、蔑んだような冷ややかな声で、入学金以外は面倒みられないと言い渡された。
その後、アルバイトに明け暮れたということもあるが、一度も実家には帰っていない。継母からは電話一本かかってきたこともない。継母とはいえ、Tさんにとっては、誰よりも認めてほしい母親だった。だが、継母は弟のことに夢中で、Tさんのことなど忘れてしまったかのようだった。