実際には薬を使っても長期的な改善はない

「大人のADHD」は一般にもよく知られるようになり、不注意や片付けができない、時間が守れないといったことで悩んでいる人が、薬で改善できるのならと、精神科や心療内科の外来に殺到するという事態になった。

子どもと比べると、効果が得られにくく、プラセボ効果(薬を飲んだという心理的効果)との差はわずかであるが、中には、短期間に劇的な効果がみられる場合もある。

ただ、長期的な効果を調べた研究では、子どもの場合でさえ、薬を使っても使わなくても、改善に差はないという結果が出ている。大人どころかティーンエイジャーでさえ、長期的には改善効果はないと、より厳しい結果が示されている。効果があっても短期的なもので、次第に効かなくなりやすいということだ。

それでも、わらにもすがる思いの人も多く、また薬剤の性質上、いったん処方が解禁されると、後戻りは難しく、現在も処方は増え続けている。

Tさんは、「ADHD」なのだろうか。現在の症状だけを見れば、そう診断されてしまうだろう。

だが、ADHDと診断されるためには、遅くとも十二歳までに、ADHDの症状を呈していなければならない。しかし、Tさんは、少なくとも小学生の頃には、そうした兆候を見せておらず、むしろ他の生徒の手本になるような存在だった。それでも、遺伝要因が七割を超え、先天的な要素が強いとされるADHDの可能性を疑うべきなのだろうか。

「大人のADHD」はADHDではなかった

世間一般の認知が進み、大人でも、ADHD改善薬の処方数が急拡大を遂げていたさなか、水を差すような出来事が起きる。

ニュージーランド、ブラジル、イギリスの各都市で、長期間にわたって行なわれてきた三つのコホート研究(同じ年に生まれた全住民を追跡調査する研究方法で、因果関係を証明するもっとも強力な方法)の結果が相次いで報告されたのだが、その結論はいずれも、「大人のADHD」とされるものが、実は児童のADHDとは似ても似つかぬもので、発達障害ではないということであった。

つまり、大人のADHDは、ADHDではなかったのだ。

大人のADHDの大部分は、十二歳以降に症状が始まり、むしろ年齢とともに悪化していた。それに対して、子どものADHDは、年齢とともに改善し、十二歳までに、半数以上が診断基準から外れ、十八歳までには、八割程度が良くなり、中年期までには、九割以上が診断に該当しなくなっていた。

また、両者には、明白な特性の違いも認められた。子どものADHDは、圧倒的に男の子が多いのに、大人のADHDでは男女差を認めなかったのだ。

また、子どものADHDは、認知機能や言語、記憶が弱い傾向があるが、大人のADHDでは、そうした低下はあまり認められなかった。神経障害という点では、大人のADHDはずっと軽かったのだ。

ところが、生きづらさという点では、大人のADHDの方がずっと深刻だった。彼らの生活は、遅刻やミス、散らかった部屋、借金、度重なる転職や離婚などで、混迷を極めていた。アルコールや薬物への依存、うつや躁うつ、不安といった精神的合併症も高頻度に認められ、交通事故や犯罪に関わるリスクもずっと高かった。

「大人のADHD」を特徴づけるのは、障害が比較的軽く、能力的には恵まれているにもかかわらず、その生きづらさと人生の混乱ぶりという点では、はるかに深刻だという矛盾した事態だった。