なぜ明らかに間違ったことを正しいと主張するのか

韓国でも日本でも、相手国に対する強気な態度や制裁を課すべきという議論をしているときに、自分がその話の輪に入っていたら、それに同意しないといけないと感じることはあるだろう。

これが同調圧力と言われるものだが、実は、圧力がかかっていなくても、周囲の意見がおおむね一致していると、つい自分もそうだと同調してしまう(つまり口に出す前から考え方が変わってしまう)という特性が人間にあることが知られている。

ソロモン・アッシュという社会心理学者が面白い実験をしている。線分を3本見せて、どれがもう1枚の紙に書いてある線分と同じ長さかを判断してもらうのである。目の錯覚が起こるようなテストではないので、95%以上の人が正解する。

ところが、被験者に3人以上の“サクラ”を混ぜて、その人たちにわざと間違った答えをさせると、それにつられて誤答する人が出た。それも3割以上いたのである。圧力がかかっていなくても明らかに間違っている周囲の人が出した答えを3人に1人以上は選んでしまう。

たった3人に1人か、と思うかもしれないが、これが選挙の時などであれば、相当過激な政策を打ち出していても、それに同調心理が加わることで政権を得るような大量の票を獲得する可能性を意味している。実際、戦前の日本の一般市民はいわゆる「大本営発表」に同調し、多くの人が開戦に賛成だったのだから。

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異論を唱える人たちを敵視して排除する「集団的浅慮」

集団で考えたほうが無難という「定説」も怪しいという学説がある。

ひとりで判断を任されたときは、責任の所在が明らかなので、統計や過去のデータなどを踏まえるなど多角的かつ慎重に取り組む。ところが、集団合議で決めるときは、その判断が甘くなることがある。

これをアーヴィング・ジャニスというアメリカの社会心理学者は「集団的浅慮」と呼んだ。

自分たちの道徳性を過度に信じ込み、それに都合の悪い情報を遮断し、またその意見に反対する人たちを敵視し、グループ内(ひとつの国が集団的浅慮に陥ると国民全体)の人間が異を唱えることに圧力をかける。

最近の高齢者の免許は取り上げるべきだという議論にしても、仮にひとりでそれについてどう考えるかというリポートを書けば、統計データなど調べた上で、実は16~24歳の運転のほうが高齢者より事故を起こす確率が高く、危険なドライバーだと気づくかもしれない。

また、免許取り上げによって、地方在住者の中には交通手段を奪われて家に引きこもり、それが将来の脳や足腰の機能の低下につながりかねない、あるいは、自転車に乗り換えて転倒・骨折し、寝たきりの原因になるリスクがあるといったデメリットも想定できるかもしれない。

しかし、集団になると「事故を減らす」という道徳的スローガンが過大評価され、それに対する反論が反道徳的なように思えてくることがあり、「みんながそう言っているから」という非論理的な理由で、免許取り上げにほとんどの人が賛成する流れが作り上げられる(地方に行くと、反対がマジョリティになっていると逆の議論が起こっているかもしれないが)。

課題が何であれ、「集団で判断」する場合は、より冷静に検討したほうが賢明だ(もちろん、集団での結論が妥当なことは珍しくないが、チェックが必要だということである)。