発想が時に脈絡なく飛んでいる
村上さんのエッセーや、翻訳家の柴田元幸さんとの対談を読んでいると、村上さんの発想が時に脈絡なく飛んでいることがわかる。例えば、村上さんが野球場で試合を見ていて、突然、自分が小説を書けることがわかったという「ひらめき」を得た体験など、常識の域を超えている。
すでにある評価関数の枠内で最適化するだけだと、どうしてもつまらなくなるし、商品としては「コモディティ化」されてしまう。既存の枠組みから見れば「愚か」に見えるほど斬新な行為だけが、大きな付加価値を生み出すことになるのである。
社会にあふれる人工知能が、蛇口をひねると水が出るように「賢さ」を提供する近未来において、人間はむしろ「愚かさ」こそを磨きたい。人から「愚か」と言われても、新しいことをやっていい。そう考えるときに解放される自分の可能性があるはずだ。