かつて稲盛さんは、心理学者の河合隼雄さんと対話をされたときに「私は現世と死後の世界は両方合わせれば辻褄が合うようにできていて、現世で善きことを積めば、その分だけ死後の世界では報われるようになっていると思うんです」と述べられました。河合さんは「そうですね。人生は『死んだ後』のほうが長いですから」と笑って応えておられました。

たしかに「死後の世界」があるとするなら、死んでからのほうがずっと長いでしょう。そう考えると、短期的な損得を追い求めるよりも、長期的な視点から、まず善行を積もうという発想になるのです。こうした死生観を持つことで、利己的な発想から利他的な発想へ意識を変えることができると思うのです。

なぜ成功しても「さらに上」を目指すか

経営者として成功し、普通の人なら「これ以上どこを目指すのか」と腕組みしてしまうところで、稲盛さんは利他の考え方に傾斜していかれました。それが経営者としてのスケールを広げ、利他の思いが強まるにつれて企業の成長や再建のスピードも速くなっていったと思います。実際、「若い頃は経営者としてまだまだ未熟だった。JAL再建こそが自分の経営の完成形です」とおっしゃっていました。

Getty lmages=写真

稲盛さんは「困難は愛が形を変えたもの」と言われたことがあります。人生にはいろいろな困難がつきものです。それを嘆くのではなく、「自分を成長させるために神様が与えてくれた、神様の愛が変形したものなのだ」と考える。 稲盛さん自身そう思い、どんな困難に直面しようと、努力を重ね、それを乗り越え、器を広げてこられたのではないでしょうか。

私は、稲盛さんから「謙虚さは魔除けだ」とも教えてもらいました。人は成功するまでは一生懸命努力します。ところがいったん成功すると、それが全部自分の力によるものだと思い込み、謙虚さをなくしてしまう。そうすると仕事も人生も悪いほうに転んでしまうのです。おそらく稲盛さん自身にも若い頃、そのような経験があるのではないでしょうか。頭ではわかっていても、謙虚であり続けることは本当に難しいことなのです。

最近JALでは、パイロットの飲酒などの不祥事が報道されています。私はJALにとって、倒産と同じように、再建の成功も大きな試練だと感じています。再建に携わった人間として、JALの皆さんが今後とも謙虚さと感謝の大切さを忘れることなく努力を重ねられ、企業としての、また人としての理想の姿を世界に示し続けてほしいと願っています。

▼稲盛和夫●年表
1932年 0歳
鹿児島市薬師町に生まれる
1955年 23歳
鹿児島大学工学部卒業
京都の碍子メーカー松風工業へ入社
1956年 24歳
ブラウン管の部品「U字ケルシマ」の国産化に成功
1957年 25歳
特殊磁器焼成用電気トンネル炉を考案
1958年 26歳
松風工業を退社、結婚
1959年 27歳
京都セラミック(後の京セラ)を創業
1971年 39歳
大阪証券取引所2部、京都証券取引所に株式を上場
1982年 50歳
京都セラミックを京セラと改称
1983年 51歳
盛友塾(後の盛和塾)発足
1984年 52歳
私財を投じ、稲盛財団を設立
第二電電企画(後のKDDI)を設立
1995年 63歳
京都商工会議所会頭に就任
1997年 65歳
京セラ、第二電電の会長職を退き、取締役名誉会長に
臨済宗妙心寺派円福寺で在家得度
2010年 78歳
日本航空会長に就任
2013年 81歳
日本航空取締役を退任
大田嘉仁
1954年、鹿児島県生まれ。立命館大学卒。京セラ取締役執行役員常務などを経て、日本航空会長補佐・専務執行役員に。稲盛氏の側近中の側近といわれる。著書『JALの奇跡』。
 
(撮影=永井 浩、若杉憲司 写真=Getty lmages)
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