問いを発する人が「支配する場」から逃げる

「多くの場合、『答えのない問い』は相手に対して権威的立場を保持し続けたい人、相手を自分の身近に縛り付けておきたい人が口にする」のだ、とも内田は語る。そのうえで内田は、可及的すみやかに、その問いを発する者が支配する場から逃げ出すことが正解だとする。

相手を出口のないところに追い込んで傷つけるために発せられるこのような「答えのない問い」も、「呪いの言葉」と言えるだろう。ならば、呪いの言葉が投げつけられたときの対処術は、「なぜ、あなたは『呪いの言葉』を私に投げるのか」と問うことだろう。そして、「あなたは私を逃げ出せないように、縛りつけておきたいのですね」と問い返すことだろう。

自分を縛ってくる者に対して、実際にそう問い返すことは身の危険を伴うかもしれない。けれども、心の中でそう問い返すことによって、呪いの言葉を投げつけられた者は、その言葉の呪縛から一時的にせよ、精神的に距離を置ける。呪いの言葉の呪縛の外に出られる。

呪いの言葉の呪縛の外に出ることができれば、柔軟に考え、行動することができる。「嫌なら辞めればいい」という例に戻れば、それはつまりは、「文句を言わずに働け」という圧力なのだと、理解できる。そして、不当な働かせかたを押しつけてくる相手こそが悪い、と問題をとらえなおすことができる。

さらに、その不当な扱いにどう対抗できるかと発想を変えることができる。労働組合に相談する、公的な相談窓口に相談する、弁護士に相談する―そういうことは、発想を変えて初めて浮かんでくる選択肢だ。その相談から、具体的な状況改善の糸口が見えてくることもある。

「野党は批判ばかり」は野党の封じ込めだ

「呪いの言葉」というキーワードを念頭に置いてみると、労働の場面だけでなく、あちこちに呪いの言葉があふれていた。政治の場面もそうだ。

私は2018年の通常国会において、働き方改革関連法案をめぐる国会審議に注目して、日々、ツイートしていた。長時間労働の是正をうたいつつも、残業代を払わずに長時間労働させることを可能とする「高度プロフェッショナル制度」の創設を、抱き合わせの一括法案によって実現しようとする、その政府の姿勢に強く反対していた。

しかし、「野党は反対ばかり」「野党はモリカケばかり」「野党は(国会審議を拒否して)18連休」、そんな表層的な批判が、ツイッターにあふれていた。それに対して野党側から、成立に賛成している法案のほうが多いと反論がなされる状況にあった。

違うのだ。賛成している法案のほうが多いというのは、相手の土俵に乗せられたうえでの反論でしかない。「野党は反対ばかり」と言いつのるのは呪いの言葉なのだから、その相手に返すべき言葉は、「賛成もしています」ではなく、「こんなとんでもない法案に、なぜあなた方は賛成するんですか?」なのだ。