これとて、ポルトガルとスペインの侵略を防げる実力が当時の日本にあったとは教科書には書いていないので、自分で考えるしかない。しかし、この点に関しては良書が公表されているので自分で勉強することができるし、気の利いた教科書なら「戦国時代の日本は世界最大の鉄砲保有国だった」くらいの事は書いてあるので、想像はつく。
しかし、その軍事力がどこへ消えたのか。いつの間に、どの時点で、とは教えてくれない。
欧州5大国「七年戦争」の日本史的意味
ただ、日本史の教科書だけ眺めていても知りえないことが、世界史の教科書と並べてみると見えてくることもある。
1853年のペリー来航の時。アメリカは日本よりは強国だったが、しょせんは新興国だった。英露仏墺普のヨーロッパの五大国の誰にもかなわない。そんなアメリカよりも日本は弱体だった。
よくよく日本史の教科書を読むと、隣国のロシアの脅威を感じながら、まともな国防努力をしていない。18世紀後半から19世紀前半の話だ。それどころか1808年には、屈辱的なフェートン号事件が起きている。イギリス船が長崎を荒らしまわり、日本は無抵抗のまま何もできなかったのだ。ナポレオン戦争の最中のことだ。この時、既に「鎖国」など不可能になっていたのは明らかだ。タマタマ、欧州列強が日本にやってこなかったからだとわかる。
では、そうなったのはいつか? 世界史の教科書には書いていないが、資料集には載っていることもある。
1762年 マニラ陥落。
欧州五大国が戦っていた七年戦争において、イギリス(イングランド)がスペインの植民地のマニラを攻略したのだ。
この時点で、日本の「鎖国」は不可能となっていたと考えるべきだろう。既に戦国から150年が去り、天下泰平を謳歌して武器を捨て去っていた日本が、世界中に飛び出て常に自分より強い国と戦っていたイングランドに勝てるだろうか。ペリーが来たのが、約100年後。白人列強が日本にやってこなかったのは、タマタマにすぎない。
七年戦争が日本の歴史にとって重要だと説く教科書はおろか、論者も知らない。しかし、私は極めて重要な事件だと考えている。
いかが?
憲政史家
1973年、香川県生まれ。中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得満期退学。在学中より国士舘大学に勤務、日本国憲法などを講じる。シンクタンク所長などをへて、現在に至る。『並べて学べば面白すぎる 世界史と日本史』(KADOKAWA)、『明治天皇の世界史 六人の皇帝たちの十九世紀』(PHP新書)、『日本史上最高の英雄 大久保利通』(徳間書店)、『国民が知らない 上皇の日本史』(祥伝社新書)、『嘘だらけの日独近現代史』(扶桑社新書)など、著書多数。