そうして1950年代から始まった「折伏(しゃくぶく)大行進」と呼ばれる布教キャンペーンでは、時に強引な勧誘が行われ、社会問題にもなっていたことは周知の通り。ただ創価学会はそれを経て、特に低所得者層などに浸透。日本最大の宗教団体の座に上り詰めていくのである。

日本の思想家にとって天皇とは、常に重大な関心の的

古来、日本の思想家にとって天皇とは、常に重大な関心の的であった。現在でも、天皇制への見解は人を“右”と“左”に分ける重要なリトマス試験紙だ。ただ戦後、創価学会はそこから離れ、特殊な思想集団として歩んできた。実際、大日本帝国の時代への反動もあり、戦後の日本には「天皇とは何か」という問題を深く考えない時期が確かにあり、その中で創価学会は勢力を拡大してきた事実がある。

しかし21世紀に入り、「天皇とは何か」という問題に多くの国民が関心を向ける中で、日本は平成という時代を見送ることになった。あらゆる意味において、天皇という存在抜きに日本は語れない。令和の時代とは、まさにそうした国民の認識とともに始まった。

一方そんな時代の中で「天皇を重視しない思想集団」創価学会の凋落が激しい。一部の会員は自公政権の保守的な政策に抗すると言って、本部の統制から公然と脱しはじめた。逆に、脱会していわゆるネット右翼組織に走る若手の存在も噂されている。事実として、公明党は選挙に弱くなりつつある。彼らの思想の軸がブレつつあるのだ。再び「時代は、大きく転換」し、創価学会は戦後のあだ花と化そうとしているのか。それともその「転換」を前に再び新たなカリスマを生み、新しい「大行進」へと進んでいけるのか……。

小川寛大
雑誌『宗教問題』編集長
1979年、熊本県生まれ。早稲田大学卒業。宗教業界紙『中外日報』記者を経て現在。著書に『神社本庁とは何か』。
(写真=時事通信フォト)
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