創価学会の名誉会長を務めた池田大作氏は、どんな人物だったのか。評論家の八幡和郎さんは「創価学会を日本一の教団にしただけでなく、謝罪するときは潔く、不祥事にも厳しく対応し、何度も教団を窮地から救ってきた」という――。
講演する創価学会の池田大作名誉会長(=東京・八王子市の創価大学、1986年8月31日)
写真=時事通信フォト
講演する創価学会の池田大作名誉会長(=東京・八王子市の創価大学、1986年8月31日)

日本仏教史で行基や蓮如と並ぶ宗教指導者

創価学会の池田大作名誉会長は、一般国民にその素顔をあまり知られないまま亡くなったが、戦後日本で最重要人物の一人だった。

傑出した宗教家であり、思想家、著作家、教育者としても成功し、世界的な文化活動や平和運動の支援者であり、政界の陰の実力者で日中国交回復の功労者であった。

宗教指導者としては、日本仏教史で、日蓮や親鸞といった教祖を別にすると、聖徳太子、行基、蓮如と並ぶ存在だといって差し支えないと私は考えている。

私の先祖は、滋賀県守山市の門徒で、近在に住んで布教していた蓮如上人を支えていたようだ。戦国時代にそれまで貴族や武士のものだった仏教を大衆化し、本願寺を発展させ、織田信長すら震撼しんかんさせる勢力に育てた蓮如と池田氏の功績は似ている。

そう私が書いたのを見て、宗教家でなく大衆動員に長けた俗物と指摘した論者がいたが、教団を発展させるリーダーは学識だけでなく、優れた組織の運営者であり、カリスマ的な大衆人気が必須だ。

カリスマ的大衆性を兼ね備えた文学青年

創価学会は2015年、学会員が読む「勤行要典」を改訂して、初代牧口常三郎氏、二代目戸田城聖氏と三代目池田大作氏の名を入れ、創価学会が今後も池田路線を踏襲することを明確化した。

小学校教員だった牧口氏は、1930年に「創価教育学会」を創立し、やがて、日蓮正宗の信徒組織としたが、1943年に逮捕され獄死した。

二代目の戸田氏は、戦前は教育出版社経営で成功していた。戦後の1952年には宗教法人「創価学会」とし、「折伏大行進」という大規模な布教を展開した。

(写真左)初代創価学会会長の牧口常三郎氏/(写真右)創価学会第二代会長の戸田城聖氏
(写真左)初代創価学会会長の牧口常三郎氏/(写真右)創価学会第二代会長の戸田城聖氏(写真=創価学会/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

池田大作氏は、戸田氏の出版社で働いていた有能なセールスマンで、教団では布教の名人だった。貧困がゆえに上級学校では学べなかったが、寸暇を惜しんで読書に励み、すぐれた文章や詩を書く文才もあったし、音楽や写真など多才な人だ。

大集会での演説も抜群で、扇子を持って踊るなど大衆を鼓舞することに長けていた。一方で、外部のインテリには聞き上手で好感の持てる紳士として振る舞ったし、それは世界の知識人との対談で生かされた。抜群の記憶力も生かして一般会員に暖かい言葉をかけることでの人心掌握も得意だった。

数百世帯といわれた小組織を発展させたのは戸田氏だが、池田時代になってからはさらに3~4倍になったようだ。