厳しい日本的経営を続けてきたトヨタ自動車
この産業は、多くの人がかなり込み入った仕事をそれぞれにきちんと実行しないとうまくいきません。現場を大切にし、調整を大事にし、日々の努力の積み重ねの中から小さな革新を積み上げていくことを大切にしてきた日本企業は、複雑性産業に適しているのです。実際、複雑性産業は平成の30年間でシェアを伸ばしました。
しかし、現場を大切にする平等的組織運営も、市場取引での協力的体制づくりも、一歩間違えれば甘えの温床になりかねない面を持っています。したがって、結果の追求とプロセスの追求の両面において厳しい態度の経営が、基盤として求められます。
70年代までは、厳しい日本的経営をしている企業が多かったはずです。しかし、80年代に日本が世界に躍進した際に、その厳しさを忘れてしまった企業が結果として多かったのではないかと思います。「失われた20年」を乗り越えて成功している日本企業は、アメリカ型経営に踊らされず、自分たちの強みである日本的経営の原理を明確に意識し、厳しい態度で経営を行ってきました。
その典型例がトヨタ自動車です。厳しい日本的経営を続けることで、世界トップシェアを争う自動車メーカーに成長しました。
「ゴーン革命」の限界に見舞われた日産自動車
一方、ライバルの日産自動車は、ぬるま湯的な経営に陥ってしまったため、99年にルノーからカルロス・ゴーンが乗り込み、日本的経営を象徴する系列の解体をはじめとした強力なコストカットを実行する「ゴーン革命」を進めます。
結果、不振にあえいでいた同社をV字回復させ、01~05年の5年間はトヨタよりも高い利益率を挙げていました。厳しい欧米型経営が奏功したといえるでしょう。
しかし、リーマンショックから本格回復した12年以降は、トヨタの成長と高い利益率に日産は大きく離されています。要因の1つに、日本国内の生産基地を海外へ移転しすぎたことが挙げられます。その結果、海外の生産基地をマネジメントする力を供給できなくなってしまいました。ここに、ゴーン革命の限界があったと思われます。