「バブルの傷」が示す2つの意味

もう1つは、自分たちのやってきた経営に対する自信の喪失という「心の傷」です。バブル崩壊が始まった91年は、奇しくもソ連崩壊と同じ年でした。日本人は、バブルが崩壊したことで、自分たちの経済や企業の仕組みに疑問を抱くようになりました。

さらに、ソ連の崩壊により、アメリカ型資本主義の勝利が世界中で叫ばれるようになると、「自分たちもアメリカ型資本主義の道を歩まなければいけないのではないか」という漠然とした不安が広がり、日本の自己疑問はさらに深まることになりました。「グローバルスタンダード」といわれるアメリカ型の経営手法が盛んに導入されたのもこの頃です。

こうした不安や迷いが「失われた20年」を招いたともいえます。

なぜ長い低迷から、脱出できたのか

ところが、リーマンショックと東日本大震災が立て続けに起こり、崖から突き落とされた日本企業は、「もうぐずぐずと考えている余裕はない」と追い詰められ、それまで中途半端にやっていた当たり前のことを、しっかりとやるようになります。その積み重ねが地力をつけ、生産性や利益率の向上に結びついたのだと思います。

平成でもっとも売れた車は、トヨタカローラだった。(時事=写真)

当たり前のこととは、日本的経営の原理、つまり、多くの日本企業が意識・無意識にとってきた経営慣行に共通する基本的な考え方です。それを私は「人本主義」と表現しています。

簡単にいえば、ヒトとヒトとのネットワークを安定的に保つことを基本原則として、経済組織をつくり維持していこうとする原理です。ヒトのネットワークが企業組織の中や市場取引の世界で安定的に形成されると、人々はそのネットワークの発展に貢献しようと学習するようになります。

また、人々の間のコミュニケーションと協力体制も出来上がりやすくなります。例えば、雇用の長期安定を志向し、給与格差をそれほど大きくしない人事のあり方が挙げられます。

こうした日本企業の強みが活きるのが「複雑性産業」です。複雑性産業とは、製品の機能や生産工程において、技術的複雑性が高い産業です。