その強硬な主張は「ファッションとしての主張」ではないか?

ところが、男系男子絶対維持を熱狂的に主張する今の国会議員やインテリたちからは、そのような熱を感じることができない。

歴史本を書いている倉山満氏は、「続いているものを守ることに価値がある」との主張をしている。そして1200年続いているという延暦寺の不滅の法灯の例を持ち出し、男系男子の皇統を守ることと不滅の法灯を守ることは同じだと主張した。彼は、その後ぐちゃぐちゃ、ダラダラと色々なことを述べているが、そこに注目すべき論は見当たらない。要するに、彼の男系男子の皇統を守る根拠が、続いているものを守れ! 日本特有の歴史を守れ! 日本の国柄を守れ! と、その程度でしかないということだ。すなわち、彼が代表するような熱狂的男系男子維持派のインテリたち自身が、実は男系男子の皇統を守ることに、国民の感情が掻き立てられるような価値を見出し切れていないという根本問題が、倉山氏の主張から見て取れる。

そうではないんだ。男系男子の皇統というものには、戦前の、それを守ろうとし、守るために犠牲となった多くの臣民(国民)の、特に若者たちの命というものが付着しているんだ。だから必死になって守らなければならないんだよ。なぜ、熱狂的男系男子維持派はそのことを狂ったように主張しないのか。

これは男系男子維持を熱狂的に主張する日本維新の会、大阪維新の会の一部メンバーにも言えることだ。さらに「私は保守だ!」と常日頃叫んでいる国会議員たちも同じだ。

男系男子維持を熱狂的に主張する国会議員やインテリたちが今までに、「皇統を守るために、国は、国民は総力をあげなければならない!」と言って本気で活動をしているところなんて見たことがない。このような問題が話題になるときにだけ男系男子維持を熱狂的に主張する。本気で男系男子の皇統を守るというのであれば、今の状況になる前に、もっと命がけで本気のアクションを起こしていたはずだ。まさに戦前の人たちのように。

だからどうしても、彼ら彼女らの男系男子絶対維持の主張にはある種のファッション的な雰囲気を感じてしまう。まるで暴走族が日の丸と菊の紋の入った特攻服を着るのと同じような。

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他方、「男系男子にこだわりはない。女性天皇・女系天皇でもいいではないか」と簡単に言い放つ者たちにも大きな疑念を抱く。

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