「戦前の日本」を守るために身近な人が命を捨てたという事実

僕の亡くなった爺さんは、海軍兵だった。頭頂部には鉄砲の弾がかすった傷があった。ほんとそこだけ、溝が付いていたんだ。あと数センチ弾道がずれていたら、爺さんの頭は打ち抜かれ、僕のオカンは生まれていなかった。そうなると僕も、僕の子供もこの世には存在しない。

僕が小学校の夏休みや冬休みに、山口県の爺さんの家に行くと、酔った爺さんが戦争の話をよく聞かせてくれた。爺さんの子供、すなわち僕のオカンやおじさん、おばさんたちはそんな話はもう聞かない。孫も、僕くらいしか聞かなかったようだ。だって小学生にしてみたら戦争の話なんて面白おかしくないからね。

爺さんは、オカンやおじさん、おばさんたちとの話に疲れると、席を外して、ウイスキーをビールで割って一人でガブガブ飲み始める。そのときに僕が呼ばれるんだけど、僕は爺さんが好きだったので、横にずっと座っていたらしい。そこからはずっと戦争の話だよ。

とにかく悲惨だよ。ほんと当時の戦争指導者などろくでもない。戦略や戦術などあったもんじゃない。僕も政治の世界に足を突っ込み、国会議員や中央政府の役人たちを間近で見たけど、当時とそれほど変わらないだろう。むしろ、まだ戦時中の戦争指導者の方が勉強はしていたんじゃないか。

僕は爺さんに、小学生ながら生意気に、当時の世の中についてダメ出しを連発していたらしい。

爺さんは、「徹、その気持ちを絶対に忘れたらいけんのじゃ。そういう気持ちがみんなからなくなったらまた戦争になるじゃけん。でもな、爺さんは当時の世の中を否定することはできんのじゃ。その世の中を守るためにみんな命をかけてたんじゃけん。爺さんの仲間も、弟も、おじさん、おばさんも、その世の中を守るために死んでいったんじゃけん。みんなもっと長生きしたかったかなんて考えるのが辛いんじゃ。だから爺さんは、その世の中を守るためにみんなは喜んで死んでいったと勝手に考えとるんじゃ。じゃけん、その世の中を否定されたら、仲間も、弟も、おじさん、おばさんも報われんのじゃ」(※方言は雰囲気で正確ではありません)と、毎回こうやって締めくくって、そのまま床に入るパターンだった。毎回、大きな目玉を涙いっぱいで濡らしながら、おやすみも言わずに去っていく。

それなのに、僕は爺さんとこの話になると、毎回、ダメ出しをするんだよ。まったく、三つ子の魂、百までだよな。