クレイジーキルトの原則:「外注」という言葉を使うことに方針転換
あるいは先の見本市の運営会社では、展示会ごとに著名な業界関係者から成るアドバイザリー・ボードを設けていた。出展はしてもらえなくても、アドバイザーなら就任してもらえることが少なくない。このリストに加えて、出展の契約を取る前に、企業名が並んだ想定図面を作成し、「こんな形になるとよいと、われわれは思っています」と、想定図面を見せながら説明に回っていた。
ここから吉田氏は、プラットフォームの立ち上げにあたっては、どのようなかたちになるかのイメージを事前に想起させやすくすることが重要なことを学んでいた。イメージが湧かないから参加者が集まらない。参加者が集まらないからイメージが湧かないという悪循環に陥ることは、何としても回避しなければならない
この気づきも吉田氏は、クラウドワークスの創業に活用している。2011年ごろはソーシャルゲームの全盛期で、この分野のエンジニアが不足していた。吉田氏は有名エンジニアの講演会に出かけたり、ツイッターで声をかけたり、友達を紹介してもらったりしながら、「写真を貸してほしい」という依頼を行っていった。
「みんなで、エンジニアの働き方の新しい未来をつくりたい」と、クラウドワークスの理念を語り、協力を呼びかけたところ、「写真の掲載だけなら」と無料で30人ほど有名エンジニアから写真提供を受け、ホームページのトップに掲載することができた。
一方で吉田氏は、写真提供を受けるエンジニアの年齢、地域、プログラミング言語に多様性をもたせることに注意した。偏ったプラットフォームだと思われないことが重要なことも、見本市の運営会社から学んでいたからである。
どのように伝えるかは重要だ。投資家であり同社の株主でもある小澤隆生氏からは、「『クラウドソーシング』ではなく、『外注』というべきだ」とのアドバイスを受けた。当時の日本にあってはなじみのなかった「クラウドソーシング」という言葉では一般人にはピンとこない。それよりも「外注をこれまでより早く、あるいはコストを抑えて実現しませんか」と持ちかけるほうがわかりやすい。
そこで吉田氏は、クラウドソーシングが世の中を変えるという理念は表に出さず、日々のコミュニケーションでは「外注」や「受託」といった言葉を使うようにした。クラウドソーシングを目指しつつ、クラウドソーシングを語らないという切り分けを行ったのである。
サービス開始当初は「検索機能」を設けず
さらに創業当初のプラットフォームでは、吉田氏たちが「ドン・キホーテ戦略」と呼んでいた、検索機能を設けない対応もとった。オープン当初の登録ワーカーの数は限られる。そこに検索機能を用意しても、「対象者はありません」と表示されることが多くなる。これでは利用者に、「なんだ」とがっかりされてしまう。
その対応のために初期のクラウドワークスを閲覧は、スクロールしながらの登録ワーカーを順に見る方式に限定されていた。少ないとはいっても、1000を超える登録ワーカーである。そのすべての情報を読み通すことは困難である。利用者には、「全てを見ることができなかったが、これだけの多くの登録ワーカーがいるのだから、次の機会にアクセスしてみよう」と思ってもらうことができる。もちろん、この方式は現在では見直されており、検索機能も現在のクラウドワークスには用意されている。