終戦50年の節目には長崎、広島、沖縄、東京都慰霊堂へ

いっぽう戦争の慰霊は、1995年を重要な画期とする。終戦50年の節目であり、天皇はやはり皇后とともに、戦災がとくに激しかった長崎、広島、沖縄、東京(東京都慰霊堂)を訪れた。この年は阪神・淡路大震災なども起こったため、誕生日会見の内容も自然重苦しいものとなった。

今年は誠に心の重い年でした。年の初めに阪神・淡路大震災が起こり、これが何よりも心の痛むことでした。5500人を超す人々の命が失われ、多くの人々が長く苦労の多い避難生活に耐えねばなりませんでした。殊に高齢の被害者の気持ちはいかばかりであったかと察しています。[中略]
今年は戦争が終わって50年という節目の年に当たり、戦争の災禍の最も激しかった長崎、広島、沖縄、東京を訪れ、また、8月15日の戦没者追悼式に臨んで、戦禍に倒れた人々の上を思い、平和を願いました。また、今年は硫黄島やハバロフスクで慰霊祭が行われました。希望に満ちた人生に乗り出そうとしていた若い人々が戦争により、また、厳しい環境の中で病気により亡くなったことを深く愛惜の念に感じます。今日の日本がこのような犠牲の上に築かれたことを心に銘じ、これからの道を進みたいものと思います。[中略]
特に今年は、戦後50年ということで、これに関係した本に目を通したいと考え、公務に関わる以外のかなりの時間、そういう本を読みつつ、過去に思いを致しました。

「戦争」の二文字が念頭から消えることはなかった

天皇は、昭和の戦争について深く考えを巡らせていた。会見の言葉にたがわず、『牧野伸顕日記』『木戸幸一日記』など昭和史の重要資料に目を通し、その内容について側近に問いかけることもあった(渡邉允『天皇家の執事』)。

牧野伸顕日記』(中央公論社)とか『木戸幸一日記』(東京大学出版会)にこういうことが書いてあるが、読んだか。

民間の専門家にもその問いは投げかけられた。2016年6月14日のことだが、天皇は私的懇談の場で、歴史家の半藤一利と保阪正康に、『昭和天皇実録』についてこう訊ねた(保阪正康『天皇陛下「生前退位」への想い』)。

実録はお読みになりましたか。どのような感想をもたれましたか。

このように、天皇の念頭から戦争の二文字が消えることはなかった。慰霊の旅も、つぎの節目である2005年、海外にまで広がった。高齢をおして「やらなくていいこと」をあえてやっている。このことこそ、天皇が旅を重んじているという証拠でなくてなんであろう。

辻田 真佐憲(つじた・まさのり)
作家・近現代史研究者
1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。2012年より文筆専業となり、政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がけている。著書に『日本の軍歌』『ふしぎな君が代』『大本営発表』(すべて幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『文部省の研究』(文春新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)など多数。監修に『日本の軍歌アーカイブス』(ビクターエンタテインメント)、『出征兵士を送る歌/これが軍歌だ!』(キングレコード)、『満州帝国ビジュアル大全』(洋泉社)などがある。
(写真=iStock.com)
関連記事
普段の明治天皇は「京都弁」を話していた
健康だった頃の大正天皇が残した"お言葉"
昭和天皇は終戦間際に何を語っていたのか
退位した天皇が仏教に帰依し出家した理由
"元号廃止、西暦のみ"に反対する人の理屈