人生100年時代にどう老いるか

その後、バブル経済崩壊後に、イニシエーションなき時代がより暗く厳しいものになったのは事実である。不景気になれば、大人になるのもつらいが、大人にならないのはもっとつらくなった。

さらに最近は、人生100年時代というキーワードが登場した。ロンドンビジネススクールのリンダ・グラットン氏とアンドリュー・スコット氏が執筆した『LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略』は、新時代のキャリアデザインのビジョンを提示し評判になった。

事実だけを見れば、人生100年時代とは、医療の発展による生物学的年齢の延長を意味し、我々にとって喜ばしいことである。この本では、長寿という贈り物を活かすために強調されているのが「若々しさ」である。長寿がそのまま「老いて生きる期間」の延長にならないために、「思春期の長期化」が推奨されている。思春期を人が柔軟性をもっている時期として評価されて、「ネオテニー(幼形成熟)」が目標とされている。

この本の現状認識は正確であり、そこから導かれるキャリアデザインへの提言も、個人選択の範囲では合理的なのかもしれない。しかし私は、集団で継承されてきた文化ではなく、個人の合理的選択の方が重視されるようなメッセージには全面的には賛同できない。年齢とは、個人の選択を超えた、もっと歴史的・文化的な存在である。

ハワード・P.チュダコフの『年齢意識の社会学』によれば、近代化・産業化によって細かく年齢差にこだわる年齢意識は強化されるようになった。それは、年齢という指標は効率的だからである。そのような効率性に基づく年齢意識過剰の中で、我々が若くあり続けることを求められれば、太宰治のように「苦しい」とつぶやくだけしかない。

老いられなれない社会では、我々は「今」が最高で、それを将来に向けて維持するしか選択がない。これは、キャリアデザインしようにも未来のモデルがないことを意味する。それゆえキャリアデザインは、常に霧の中にあり、破綻の危機にある。老いは、忌避すべき対象ではなく、未来モデルなのだ。我々の社会が求めているのは、良く老いる生き方(未来モデル)をみんなで再発見していくことなのかもしれないのだ。

(写真=iStock.com)
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