イニシエーションなき時代

大人になるためには個人の力だけではどうしようもなく、「文化」が必要であることは、先述した『サブカル・スパースター鬱伝』における菊池成孔氏の次の至言からも窺える。

「ある意味、神経症は、イニシエーションなき時代のイニシエーションみたいなもので、特に三九歳から四〇歳にかけて普通にきたら皮むけたぐらいの感じで気楽に考えたほうがいいんじゃないですかね(笑)。」

大人になる直前に明確な通過儀礼(=イニシエーション)があれば、それによって大人になれる。つまり、昔の侍文化ならば、髪型なども変わる元服である。

かつては、大人になる通過儀礼として就職が機能していた時代もある。1975年にフォーク・グループのバンバンがヒットさせた「『いちご白書』をもう一度」は、「就職が決って髪を切ってきた時、もう若くないさ、と君に言い訳したね」という歌詞がある。

会社共同体は豊かでも満たされない

しかし、その後、バブル経済に突入すると、就職=大人になるという境界は、少しずつ曖昧になる。1987年に公開された原田知世主演の『私をスキーに連れてって』は、26歳の主人公が、社会人でありながら、「まるで学生のようなスキー生活」を謳歌している。

むろん、これは現実ではなく「憧れ」なのであるが、大学卒業から4年、もう少し延ばせるかもしれないというリアリティがあった。なお、この映画の中では、1980年代に発売された松任谷由実のアルバム『SURF&SNOW』が全面的に使われている。先ほどの「『いちご白書』をもう一度」も、作詞・作曲は荒井由実(現・松任谷由実)であったのだから、時代の変化はとても激しい。

ところで、1989年には、「サラリーマンが歌う、サラリーマンの応援歌」をコンセプトに大手企業に勤める二人組(杉村太郎・伊藤洋介)が結成したシャインズがデビューしている。伊藤洋介氏の『バブルでしたねぇ』という自伝では、超売り手市場で高給という時代であったあても、会社では、なぜか満たされない心の葛藤が証言されている。

会社共同体は、どんなに豊かになろうとも、「まるで悩みも明日への不安もなく、楽しいことだけを考えていればよかった学生生活」とは違う。先へ先へと青年期を延長することが目指されていた。