ティーン向け小説を書き続けることに限界を感じる彼女に、ド田舎に住む元カレの赤ちゃん誕生パーティの招待状が届く。彼女は驚き、彼がヨリを戻そうと願っていると誤解する。学校中の憧れの的だった主人公も、今、田舎に戻ってみれば、ただイタイ行動をする変人である。

このような「大人になれない大人問題」とは、経済的に発展した社会に共通する宿痾(しゅくあ)なのかもしれない。

若さや老いとは何か

青年期の延長とは、青年期が生物学的年齢ではなく、社会・文化的年齢と関係することを意味する。つまり、若いとか、老けているとかは、どのように見られるか・見せるかによって変化するのだ。

小津安二郎監督の映画『東京物語』で年老いた親を演じた笠智衆は、公開当時に49歳である。一方、日本を代表するイケメン俳優と言えば、福山雅治氏であるが、今年彼が50歳であることを知れば笠智衆との差に驚くであろう。

このような社会・文化的年齢の多様性を、社会変化との関係で論じたのが、『動物農場』や『1984』などの小説で知られるイギリスの作家、ジョージ・オーウェルである。彼は、「ドナルド・マッギルの芸術」(1941年出版)において社会・文化的年齢の歴史的変化を読み解き、社会の未来を予言している。

多くの人は、ドナルド・マッギルを知らないであろう。オーウェル自身が、ドナルド・マッギルが誰なのか私は知らないと書いている。これは、当時どこにでもあった「ドナルド・マッギル漫画」として販売されている漫画絵葉書のシリーズなのである。この絵葉書は、高尚な芸術ではなく、その内容も低俗な冗談(下ネタも多い)ばかりであるが、オーウェルはこの低俗さの中に次のような法則を発見する。

「新婚初夜に代表される『いちゃついている』夫婦と、中年の『いがみ合い夫婦』はあるが、その中間はまったくない」

上流階級は若さにしがみつく

加えてオーウェルは、「青春と冒険」が結婚とともに終わるのを当然であると考えるような見方は、労働者階級特有のものであると言う。要するに、労働者階級は老けるのが早い。彼は、およそ30歳を過ぎても若く見えるということは、主として若くありたいと望むかどうかによると言う。そして、上流階級の連中は、若さにしがみつき、性的な魅力を失うまい、子供たちのためにばかりでなく、自分のために素晴らしい将来を思い描こうとする衝動を持っていると批判する。

オーウェルは、低俗と思われている労働者階級の文化に、無意識ではあるが、昔から続く「人生の英知」を発見している。つまり、若くあり続けようと思うことは、「イタイ行動」なのだから、老いを受け入れられることは、歴史的に培われた「人生の英知」なのだ。

そのうえで彼は、このエッセイを書いた1941年、このような英知が社会から徐々に失われつつあることを危惧している。その後、戦後社会が与えてくれた圧倒的な豊かさは、我々を上流階級のように振る舞うことを可能にしてくれたわけだが、同時に我々は、「老いることを受け入れる構え」を失ったのである。