龍馬が何をしようとしたのかというと、自分がキャスティングボードを握ることで、薩長でも幕府でもない“第三の道”を切り開こうとしたわけです。でも、後藤象二郎にも西郷にも木戸孝允にも、それは言えない。説得できない。やがて維新のスピードはどんどん加速し、龍馬の振る舞いもブローカー的になり、誰からも信用されなくなる」
すでに薩長同盟が結ばれ、大政奉還が実現し、土佐も薩摩も長州も龍馬を必要としなくなる。つまり、龍馬は誰に殺されてもおかしくない状況だった、と加来さんは言う。
「誰にも理解されず、使い捨てられ、暗殺される。孤独の悲劇です。孤独を力に成長した人間が皆、成功するわけではありません。失敗の道を辿らざるをえなかった人間も視野に入れないと、歴史の本当の凄みはわからない。
孤独な人間は、周囲から理解されないものです。悲しいとか悔しいという感情も孤独にはありますが、それを超えられるか。孤独を楽しむというのは、武道でいうところの極意に通じます。その境地へたどり着けるかどうか。歴史上の人物はみな乗り越えている」
社会という人間関係やルールのしがらみを断ち、孤独になるからこそ、常識破りの発想も生まれてくる。
「組織が崩壊するのは、非常の才を起用しないからです。平時に力を発揮するエリートは、記憶力がよく、段取りもいいけれど、独創性はありません。だから、常識が通用しない非常時には役に立たない。しかし、これが組織の宿命なのですが、よほど有能な上司でない限り、自分より有能な部下というのは使いこなせません」
島津斉彬が西郷を発掘したように、身分の隔てなく実力のある人間を登用したのが、戦国時代の織田信長。信長も孤独だった、と加来さんは続ける。
今川義元を桶狭間の合戦で破ったのを皮切りに周辺諸国を制圧。中国地方から関東地方にまたがる大勢力を築き上げた。47歳のとき、明智光秀の手により討たれる。
独創的な発想は、孤独から生まれる
「信長は戦略・戦術のプロと言われますが、果たしてそうでしょうか。桶狭間では奇襲攻撃で大成功しましたが、これは追いつめられてやって、たまたま成功しただけのこと。それ以外の戦いも、当時は常識破りでも、今日からすればあたり前のこと。実に素人的な発想で信長は戦っているのです。
尾張という国は農業・商業的にも豊かで生活にもゆとりがある。そういう国は往々にして兵が弱い。逆に兵が強い武田、上杉は経済力に弱点がある。兵が弱いならば、お金で兵を買えばいいではないか、と信長は将兵を雇い、家臣団をつくるわけです。