「お世継ぎファースト」な人生のしんどさ
1993年に皇后陛下の主治医になり、皇室医務主管という「皇室のホームドクター」を2012年まで務めた金澤一郎さんは、医務主管退官直後に雅子さまの「適応障害」についてこう語っている。
(「文藝春秋」2012年8月号「前皇室医務主管独占インタビュー」)
均等法第一世代は「約束と違う」世代だ。
均等ですよ、と言われて入社し、「男性ファースト」の会社組織に「約束と違う」と苦しんだ彼女たち。雅子さまは皇室外交できますよ、と言われて皇室入りし、「お世継ぎファースト」の皇室に「約束と違う」と苦しまれたことだろう。
ここは皇室なのだ、「お世継ぎ」をクリアしなくてどうする。そう考える人の気持ちもよくわかる。だが一方で、同じ働く女性としては、出産だけが期待される人生はしんどいだろうと思う。
まして雅子さまは転職を決めたとき、「お世継ぎファースト」と聞いていたかどうか。転職を勧める側は、厳しい話より楽しい話をしがちだろう。
さらに思うのは、「お世継ぎファースト」さえクリアしていれば、雅子さまはオールハッピーになっただろうかということだ。
雅子さまの肉声はほとんど聞こえなくなった
2001年、敬宮愛子さまが生まれ、雅子さまは「生まれてきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいになりました」と語り涙ぐまれた。
その8カ月後にニュージーランド・オーストラリアを訪問、帰国後の記者会見で「外国に参りますことが、(略)私の生活の一部となっておりましたことから、6年間の間、外国訪問をすることがなかなか難しいという状況は、正直申しまして私自身その状況に適応することになかなか大きな努力が要ったということがございます」と心情を吐露した。
が、それを最後に、雅子さまの肉声はほとんど聞こえなくなった。
「民間初の皇太子妃」の美智子さまは、同世代女性のあこがれだった。ご結婚後、どんどんやせていった美智子さまの姿に、同世代女性は「嫁いびり」という言葉を思い浮かべ、いっそう思い入れを強めた。「嫁同士」だからだ。