「自分たちが足手まといになってはいけない」
副島さんは、皇太子妃を受けるかどうか迷っていた頃の富美子さんの苦しみを「とても見ていられないほどのものでした」と振り返った。そして皇太子ご一家が幸せそうになり、国民の敬愛が深まると、さらに「自分たちが足手まといになってはいけない」と静かに見守り、多幸を祈る気持ちで生活していた、と語った。
同時に副島さんは、自分の娘が多くの人に信頼され敬愛されていることに、それなりの生き甲斐と限りない満足を覚えていたのではないかと、姉の心情を思いやっている。
そして、こう語った。
「皇太子妃になるべき星の下に生まれた」
この本で副島さんの話は、インタビュアーの質問などをはさまない形でまとめられている。だが当然、一方的に副島さんが語り続けるはずはなく、岩井さんの問いが時々入っていただろう。
バラの話の後、多分、岩井さんは、「富美子さんのよい気質を美智子さまが受け継いだのですね」と水を向けたに違いない。副島さんがこう語っている。
副島さんの言葉を借りれば、「輝くバラ」である美智子さま。その美智子さまは、「輝くバラは日陰のバラがあってこそのもの」と、幼少時から認識していた。
これは、あらゆるものに通じる深い考え方だと思う。誰かが輝くためには、誰かが支える必要がある。だが、支える人が輝かなくては、輝くはずの人も輝かない。
皇室と国民の関係は、どちらも、輝く側であり、支える側ではないだろうか。小学生の美智子さんは、すでに自分の将来あるところの本質を理解していた。これは、深読みではないと思う。
副島さんは、それを「皇太子妃になるべき星の下に生まれた」と表現した。バラはそういう「伏線」だ。
コラムニスト
1961年生まれ。83年朝日新聞社に入社し、記者に。宇都宮支局、学芸部を経て、「アエラ」、経済部、「週刊朝日」に所属。「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理を経て、書籍編集部で部長を務め、2011年、朝日新聞社を退社。シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長となる。17年に株式会社ハルメクを退社し、フリーランスで各種メディアに寄稿している。