「何かすごい方になるとわかっていた」
池田山の正田邸のごく近くに住み、聖心女子学院の中等科、高等科でも美智子さまと同級だったシャンソン歌手の須美杏子さんに話を聞いたことがある。
須美さんの本名は萩尾敬子で、「タァコ」「ミッチ」とお互いを呼び合っていたという。80歳を超えても歌手活動を続ける須美さんには、ミニコンサートを開いたライブハウスで話を聞いた。
須美さんは、美智子さまについて冗舌に語らないことを長く嗜(たしな)みとしてきた。そう感じさせる堂々とした女性で、60年以上前の「ミッチ」についてはっきり語ったのはこれだけだった。
「どこへお嫁に行くとかそういうことではなく、何かすごい方になるとわかっていました。具体的にどうこうとは考えませんでしたが、私の周りの人はみな、そう思っていたと思います」
嫁ぐ前から、現在の皇后陛下へ至る伏線がいくつもある。美智子さまを知れば知るほど、そう感じる。そしてその「伏線」と出合うたび、美智子さまという人を皇室が得たことは奇跡だったのだという思いを強くする。
美智子さまの母・富美子さんの実弟に聞いた
次に紹介するのは、美智子さまが小さい頃の話だ。
語ったのは、美智子さまの母・正田富美子さんの実弟、副島呉郎さん(元東京銀行監査役)。
話を聞いたのは、岩井克己さん。朝日新聞記者として、1986年から退職する2012年まで皇室を担当したジャーナリストだ。
富美子さんにインタビューを申し込んでいたが、正田家側からずっと色よい返事は得られなかったという。
病気がちだった富美子さんの体調がいよいよ思わしくないと聞いた1988年5月14日、岩井さんは副島さんから話を聞いた。富美子さんは5月28日に亡くなっているから、その2週間前になる。それが岩井さんの著書『皇室の風』に収められている。