※本稿は、矢部万紀子『美智子さまという奇跡』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。
15分の会見で15回登場した「私」という言葉
2018年12月23日、天皇陛下は85歳になられた。事前に開かれた陛下の記者会見の映像がその日、たくさんのメディアで報じられた。
ご自身の人生と重ねながら、日本と世界の歩んだ道を振り返られる。そのような形で進められた約15分の会見だった。中で陛下は、「私」という言葉を15回使われた。
「私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました」
途中までは、この発言を含む数回だけしか出てこなかったのが、突如として増えた。最終盤で「明年4月に結婚60年を迎えます」と皇后美智子さまについてのお話になり、「私」がぐっと増えた。
「結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました」
この発言だけで3回。この後、陛下は美智子さまと国民への感謝をこのように語られた。
「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います」
時々、涙声になられた。
「皇室の安定」は当たり前ではなかった
陛下が全身全霊で仕事をなさることで、即位のときから「象徴」と位置づけられた初めての天皇としての「旅」は、成功裏に終わろうとしている。今となっては、その成功が当たり前のことのようにも感じられる。だがそれは、決して当たり前に起きたのではなかった。美智子さまが「私」としての陛下を支えてこられたからこそ、実現した。それを改めて教えてくれた会見だった。
記者、編集者として、長く皇室報道に携わってきた。「お幸せな天皇ご一家」と当たり前のように報じ、「皇室の安定」も当たり前だと思っていた。
だがもしや、それは当たり前でないのでは。そう思うようになったのは、やはり皇太子妃雅子さまのご病気がきっかけだった。
かつて当たり前と思えたのは、なぜだったのか。それを考え行き着いたのは結局、美智子さまだった。
民間出身の初の皇太子妃になり、翌年に男の子を出産された。そのような幸運を当たり前のように実現され、皇后になられてからは災害が起こるたびに陛下とご一緒にいち早く被災地へ行かれ、国内外の戦争跡地では陛下の横で祈られた。当たり前のようにそうされる美智子さまのお姿から、私たちは「皇室の安定」が当たり前だと思うことができたのだ。
そのことに気づいたときに浮かんだ言葉が、「美智子さまという奇跡」だった。