「自分たちが足手まといになってはいけない」

副島さんは、皇太子妃を受けるかどうか迷っていた頃の富美子さんの苦しみを「とても見ていられないほどのものでした」と振り返った。そして皇太子ご一家が幸せそうになり、国民の敬愛が深まると、さらに「自分たちが足手まといになってはいけない」と静かに見守り、多幸を祈る気持ちで生活していた、と語った。

同時に副島さんは、自分の娘が多くの人に信頼され敬愛されていることに、それなりの生き甲斐と限りない満足を覚えていたのではないかと、姉の心情を思いやっている。

そして、こう語った。

〈私はずっと、美智子さんは皇太子妃になるべき星の下に生まれたのだった、必然だったと思っています。小学校6年生のころに、私の家に来て、庭のバラを見て「叔父さま、陽に当たっているバラってすごくきれいね。でも、日陰になっているバラもあるからよけいにきれいに輝いて見えるのね」と言われて、衝撃を受けたのがずっと忘れられません。陰になっているものにまで目を向ける洞察力がすごいと思ったのです。〉

「皇太子妃になるべき星の下に生まれた」

この本で副島さんの話は、インタビュアーの質問などをはさまない形でまとめられている。だが当然、一方的に副島さんが語り続けるはずはなく、岩井さんの問いが時々入っていただろう。

バラの話の後、多分、岩井さんは、「富美子さんのよい気質を美智子さまが受け継いだのですね」と水を向けたに違いない。副島さんがこう語っている。

〈姉のよいところを美智子さんが受け継いだ……というより、姉の抱いていた理想像が結晶した姿が美智子さんだったのではないかと思っているのです。その意味では、美智子さまは日なたに輝くバラ、富美子は陰で支えるバラだったのだと思います。〉
矢部万紀子『美智子さまという奇跡』(幻冬舎新書)

副島さんの言葉を借りれば、「輝くバラ」である美智子さま。その美智子さまは、「輝くバラは日陰のバラがあってこそのもの」と、幼少時から認識していた。

これは、あらゆるものに通じる深い考え方だと思う。誰かが輝くためには、誰かが支える必要がある。だが、支える人が輝かなくては、輝くはずの人も輝かない。

皇室と国民の関係は、どちらも、輝く側であり、支える側ではないだろうか。小学生の美智子さんは、すでに自分の将来あるところの本質を理解していた。これは、深読みではないと思う。

副島さんは、それを「皇太子妃になるべき星の下に生まれた」と表現した。バラはそういう「伏線」だ。

矢部万紀子(やべ・まきこ)
コラムニスト
1961年生まれ。83年朝日新聞社に入社し、記者に。宇都宮支局、学芸部を経て、「アエラ」、経済部、「週刊朝日」に所属。「週刊朝日」副編集長、「アエラ」編集長代理を経て、書籍編集部で部長を務め、2011年、朝日新聞社を退社。シニア女性誌「いきいき(現「ハルメク」)」編集長となる。17年に株式会社ハルメクを退社し、フリーランスで各種メディアに寄稿している。
(写真=時事通信フォト)
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