複雑系の関ヶ原合戦に、今注目すべし

――裏切りとか寝返りとか、現代では少し軽いニュアンスに聞こえます。当時は生きるか死ぬか、命懸けでした。

【石田】それを家康はきちんと理解していて、合戦後の処理をしっかり行った。敵味方の区別をせず、武将の姿勢を評価したんですね。小早川に追随して東軍に寝返った脇坂、朽木、赤座、小川たちのことは評価していません。

【小早川】毛利家の家臣で西軍の吉川広家は、毛利一族の未来を案じ、結局動かなかった。総大将の毛利輝元も大坂城にいて動かない。関ヶ原の合戦の後、秀秋は備前岡山51万石を与えられました。

――本当の裏切り者は誰か、という研究もあるようですね。

【石田】そう、調べれば調べるほど、関ヶ原合戦というのはおかしな戦いなんです。西軍の総大将は大坂城にいて、三成はいわばヘッドコーチ。部下たちはなかなか働いてくれない。では東軍が磐石だったかというとそれも違う。秀忠率いる3万8000の本軍は未着。つまり東軍は二軍だった。

【小早川】数ある戦いの中でも飛び抜けて複雑ですよね。人間的というか……。だから、今でも小説や映画になるんでしょう。

【石田】そもそも目的が違います。家康は天下統一を目論んでいるけれど、三成は違う。太閤が決めたルールを破った家康に対する抗議の戦いです。

――たしかに、ある利権をめぐって戦うというような単純さとは違いますよね。

【小早川】日本が大きく変わった戦いだと思いますが、いろいろな観点から分析ができるところも面白い。

【石田】秀秋にしても三成にしても、考え方や行動が、現代人の生き方に通じるところも多い。400年以上前に、人間として生きていくうえで大事なことを教えてくれた。三成の短所も反面教師になります。

――天下分け目の関ヶ原の合戦。そこで戦った武将の子孫が今ではとても仲がいいことがよくわかりました。

【小早川】実は近年、交流がある方も多く、石田さんが新年会まで企画してくださっています。私たち2人に加えて大谷、長宗我部、木下、真田の子孫が集まる予定とのことです。黒田さんも来られるようです。みなであれこれ話をしたいですね。

【石田】楽しいですよ。とにかく話が尽きませんから。