――一方、小早川秀秋は合戦の後、21歳の若さで他界していますね。

【小早川】そのせいでお家が断絶しています。明治に入って、毛利家が小早川家を再興。毛利元徳の息子・三郎が小早川を名乗った。三郎は13歳の若さで亡くなってしまい、その弟の四郎が跡を継いだ。しかし子供ができず、また毛利本家から養子を取った。それが元治、私の父です。

――お父様は何をやっていらしたんですか。

【小早川】父は戦前、日産のエンジニアでした。イギリスからレーシングカーを個人で入手して、アジア初の常設サーキットである多摩川スピードウェイを疾走していたくらいです。合戦で馬の手綱を握るのではなく、クルマのハンドルを握ることになったわけです(笑)。私もクルマ一筋の人生で、父の血を受け継いでいます。

――お二人は三成、秀秋のことを、どう伝え聞いていたのでしょう。

【石田】父は特になにも話してくれず、自分が三成の子孫だと知ったのは成人してからです。

――えっ? では、日本史の授業などでは……。

【石田】姓が同じだと思うくらいで、まったくの他人だと(笑)。

【小早川】私も歴史にあまり関心がなかったので、似たようなものです(笑)。

――ちょっとびっくりです。学校では話題になったり、ひょっとするとからかわれたりしたのかと。

【小早川】そういうことは、一切なかったですね。

【石田】私の場合は50年前くらいですかね。伯父(父の姉の夫)がルーツを教えてくれました。伯父は祖父と仲が良くて、いろいろと話を聞いていたそうです。第二次世界大戦の終戦直前の八王子空襲で遺されていた石田家に関する資料などが全部燃えてしまったと。それは驚きました。三成がご先祖だったなんて。

【小早川】私の場合も、祖父も父も歴史のことはあまり話してくれなかった。詳しく知らなかったのかもしれません。私も歴史に興味があれば、いろいろと聞いていたと思うんですけど。遅ればせながら、少しは勉強するように(笑)。秀秋からさかのぼって、小早川隆景のことなどを調べだすと、興味深いことばかりです。