泰然自若としている親の子は「逆転合格」する

当時のわたしはまだ若かったとはいえ大きな後悔がある。いまなら、母親に激高されようが、ひるまず声をかけるにちがいない。子は親の顔色をうかがい、物事の善悪を判断するものである。そして、親の言動はその場にいる子の感情を決定づけてしまうことがある。

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あのとき、こちらをちらりと見遣ったその子の表情には「おびえ」が走っていたのだ。

同じ日の女子学院の合否発表の場。やはり、校内からうなだれて出てくる子がいた。目を真っ赤に腫らしている。わたしの指導していた子である。わたしの姿を認めるや否や、親子でこちらにやってきた。

隣にいた母親は穏やかな表情で言った。

「矢野先生、この子のためにお時間を取ってもらってもよろしいでしょうか? わたしは先に帰って、翌日の入試の準備をしていますので」

そして、泣いているわが子に対してこう語りかけた。

「先生に励ましてもらって、パワーをもらって帰ってきなさい。待っているね」

そのあと、わたしは20~30分間くらい励ましのことばをかけるとともに、明日以降の入試の心構えについてじっくり話をした。

「先生、ありがと!」

そう言って帰途に就くその子は目を真っ赤に腫らしていたものの、満面の笑顔に変わっていた。数日後、その子から電話をもらった。また、泣いていた。今度は「うれしい涙」である。

「先生、わたし豊島岡(豊島岡女子学園)に合格したよ!」

女子御三家各校と比肩するレベルの難関校に合格したのだ。この合格はあのときの母親の泰然自若としたスタンスがもたらしたのだろうとわたしは深く納得したのだ。

合格発表板の前で「女優」になりきった母親の「声かけ」

もうひとつ、わたしの経験したエピソードを紹介したい。

以前、大手テスト会の模擬試験で4科目ともに偏差値70を一度も切ったことのない、かなり成績優秀な女の子を指導した。その子の学習姿勢、意欲は素晴らしく、一体どのような家庭環境の中でこの子は育ったのだろうかとこちらが興味を抱くぐらいの「非の打ち所のない子」であった。

その子が第1志望校である、女子御三家の最高峰・桜蔭中学校を受験した2月1日の夕方。わたしあてに彼女から電話がかかってきた。受話器を上げた途端、嗚咽する声が。聞けば、試験の手応えが悪かったとのこと。このまま放っておいては翌日の入試に差し支えるだろうと考え、すぐ塾まで顔を出すように伝えた。