世界史上の強国を支えた官僚の文章術

歴史的にみても強力な国家には確固たる官僚制度がある。そしてその必要不可欠の要素として正確な文章を書きうる役人がいる。

中国において膨大な領土を治め、異民族を含め何千万人あるいは何億人という国民を対象として、それなりの統一国家を維持することを可能にしたのは官僚制度の存在であったことはよく知られている。それは役人をその出自にかかわりなくもっぱら本人の能力を基準として採用するというものであった。

このような官僚制度は西周時代(紀元前770年)以降漸次整えられ、隋・唐の時代に選挙制度として定着し、宋の太祖の時代(973年)に科挙制度として完成された。清朝末期に廃止されたこの制度の下では、人、特に高級官僚を目指す者には格別の作文力が求められた、これらの試験にパスするためには、古今の文書に通じていること、それを踏まえた内容と格調の高い文章を書けることが求められた。

これを目指した努力、それにまつわる悲喜こもごもの逸話は枚挙にいとまがない。たとえば唐代の杜甫は、思いのままにならない役人としてのわが身の境遇についての多くの詩を作っている。

近年イスラムの研究が進み、オスマン・トルコやセルジューク・トルコあるいはモンゴル系の歴代王朝についての本が広く読まれるようになった。これらの書物によれば、8世紀の初頭からこの20世紀の初頭まで、東アジアとヨーロッパを切断し、あるいは仲介したこれらの諸国が広大な地域を統治することが可能だった理由の1つは、それらが確固とした官僚制度をもっていたからだとされている。

イスラム初期の大征服と国家の建設はアラブ人によって達成された。その公用語はアラビア語であったが、統治の機構の中心となる役人については出自による選別はなく、たとえばアッバース朝時代の官僚の多くはペルシア人であったと言われている。ここでも国家を統治するための独立した機構として確固とした官僚制度が存在した。そしてその下で、各種の情報を全土に正確に伝え、また行政上の齟齬(そご)を避けるため正確な文章を書きうる官僚が必要とされたのである。