これからの公判こそ、特捜検察の正念場になる
刑事捜査は、自国の利益を最優先にする外交とは違う。反日感情の強い韓国やしたたかなロシアを相手にする交渉とは異なり、捜査機関自体のバランス感覚が求められる。
あくまでも事実を積み上げ、そこから真実を導き出さなければならない。捜査で明らかになった事実が、法律に違反しているかどうかを一つひとつ見極める必要がある。捜査機関の独断に偏ってはならない。それがバランス感覚である。
内偵捜査からスタートする贈収賄や背任、脱税などのいわゆる知能犯事件は、とくにその見極めが重要になる。
今後始まる裁判では、これまでの特捜部の捜査で得られたいくつもの事実が公にされる。ゴーン氏が虚偽記載や特別背任という罪に問われた理由について、説得力ある事実を示すことができるか。公判こそ、特捜検察の正念場である。
それだけではない。今回は海外からも厳しい目が向けられている。海外メディアを納得させられるだけの事実を示す必要があるだろう。
「開示手続きは、あくまで裁判ではない」
新聞各紙は、8日の拘留理由開示の法廷から11日の特別背任罪の起訴までの間、すべての全国紙が「ゴーン事件」を社説に取り上げていた。
その中で、説得力があって「おもしろいな」と思ったのは、9日付の産経新聞の社説(主張)だった。「ゴーン容疑者出廷」「真実追求は捜査と公判で」という見出しを掲げ、捜査と公判を肯定する姿勢を明確に打ち出している。しかも海外メディアの批判に屈するなという意味で、これまた明確に検察を支持する。
産経新聞らしいと言えば、それまでなのだが、スタンスを明らかにしてブレない。産経好きな読者はそこにひかれ、思わず納得してしまうのだろう。ただ、こうした産経社説の書きぶりは両刃の剣で、独断と偏見に陥る危険性もある。
産経社説は「日産自動車の前会長、カルロス・ゴーン容疑者が東京地裁で行われた勾留理由開示手続きに出廷し、『無実だ。不当に勾留されている』などと主張した」と書き出し、その後にこう主張している。
「留意すべきは、これはあくまで裁判ではないということだ」
「裁判とは、検察側、弁護側双方が証拠に基づいて主張を戦わせ、第三者の裁判官が判断を下すものである。真実はどこにあるか。あくまで捜査と公判の行方を見守るべきだろう」
「真実はどこにあるか」。なるほど、これは沙鴎一歩の持論に近いものがある。