「意味づけ」を探求する

これに対し、心身二元論、主客二元論を克服しようとしたのが、ドイツの哲学者フッサールが打ち立てた現象学だった。ビジネスのあり方を説く本書も、デカルトの二元論に批判的な立場をとりながら、フロネシス(実践知)とともに、現実に対する現象学的なとらえ方を一貫して中心テーマに据えているのだ。

現象学ではわれわれが直接経験できる「生活世界(レーベンスヴェルト)」を重視し、心身一如、主客一体の境地で顧客の現実をありのままにとらえる。その際、科学が前提とする客観的事実は「カッコ」に入れ、その判断をいったん停止してしまう(「エポケー」という)。そして、絶対に疑いきれない直接与えられている感覚の意味をとらえる。つまり、科学による客観的・分析的成果に対して、主観的・感覚的な意味づけが行われる。

現象学はまさに意味づけを探求する。そして、その意味の本質は何か、過去・現在のあらゆる経験や知識、さらには未来予測も総動員して概念化し、顧客との相互理解を目指す。ここにサイエンスとアートが総合される。

クリスチャン・マスビアウ『センスメイキング』(プレジデント社)

本書では、フロネシスならびに現象学を実践する人物の事例が数多く紹介される。文化的探求により、ユーザーとクルマとの関係性の変化を読み取り、凋落した高級車ブランド、リンカーンを復活させたフォードの社長、マーク・フィールズ。コーヒー文化への洞察からスターバックスを立ち上げたハワード・シュルツ、などなど。なかでも最も印象的なのが希代の投資家ジョージ・ソロスだ。

「寝つきの悪さ」で投資判断

フロネシスを発揮する際、「何がよいことか」の明確な判断基準を持つには、量・質ともに豊かな経験とともに、ドラッカーが「マネジメントはリベラル・アーツだ」と述べたように、哲学、歴史、文学、美術などの主に人文科学の教養に精通していることが重要になる。ソロスは、第二次世界大戦中のナチス占領下のハンガリーで青少年期を送りながら、複雑怪奇な歴史の動きを感じとり、政治の世界の大きな事件も一見些細な出来事に端を発していることに気づいた。そして、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの学生時代は哲学を専攻し、人文科学の素養を濃厚に身につけた。

注目すべきは、そのソロスが五感で得られる知覚や感覚を重視し、心身一如、主客一体の現象学的世界で市場をとらえていることだ。著者によれば、「ソロスは自分の身体が市場システムの“一部”になっていると説明する。サーフボードや波の動きと一体となっているサーファーのように、ソロスは市場データを一種の意識の流れとして体感していて、市場データが自身の知覚に複雑に絡みついているのだ」「実は、ソロスが大きな投資をするときには、背中の痛みか寝つきの悪さで決断するという」。

ソロスは、まさに市場環境と“一体”となることで、市場データも単に科学的に分析するのではなく、センスメイキングにより、データの背後に流れる社会的な文脈を直観的に読み取り、投資のベストなタイミングを判断する。サイエンスとアートを総合して判断することで、多くのサイエンス志向の投資家がおよばぬ投資手腕が発揮されることを明かす著者の慧眼に敬服する。