社会的文脈を読み解く時「生き方」が問われる

社会的文脈をいかに読み取るか。その洞察には自らの価値観や世界観が反映されるため、自分は何のために存在するのかを問われることにもなる。ソロスも一投資家の域を超え、政治経済における公共的利益の重要性を説くが、そこには自らの存在意義、すなわち「生き方」が投影されているように見える。

主体と客体を分け、現実を傍観者的に対象化して分析している限りは、自らの存在意義は問題にされない。しかし、主客一体で環境と一体化し、社会的文脈に入り込むときは、自らの生き方も問われる。なぜなら、社会的文脈とは人々によって共有される暗黙知であり、一方、自らの生き方も暗黙知であり、両者が共振・共鳴・共感し合うとき、センスメイキングが成り立つからだ。本書でも、最終章は「人は何のために存在するのか」と題して、読者に生き方を問いかけている。

前出の野中教授によれば、今の日本企業はアメリカ流経営学に過剰適応した結果、オーバー・アナリシス(過剰分析)、オーバー・プランニング(過剰計画)、オーバー・コンプライアンス(過剰法令遵守)の三大疾病に陥ってしまい、自社の存在意義や社員たちの人間としての生き方には無関心になってしまったという。

そんななか、戦略コンサルタントというサイエンスの典型のような職にある著者が、サイエンス全盛のアメリカにおいてフロネシスと現象学的経営を説き、一人ひとりの生き方を問う著作を著し、全米で注目を集めている。

新たな潮流を予感させる秀逸の書だ。

勝見 明(かつみ・あきら)
ジャーナリスト
1952年生まれ。東京大学教養学部教養学科中退後、フリージャーナリストとして、経済・経営分野を中心に執筆を続ける。著書に『鈴木敏文の統計心理学』『選ばれる営業、捨てられる営業』ほか多数。最新刊に『全員経営』(野中郁次郎氏との共著)。
(写真提供=日刊ゲンダイ 写真=iStock.com)
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