京都では「部分収骨」で残骨灰は火葬場に置いて帰る

興味深いことに、火葬のしきたりも東西で異なる。つまり火葬後の拾骨(骨上げ)の違いである。骨上げのやり方は、すべての遺骨を6寸以上の大きな骨壷に納める「全部拾骨」と、部分的に骨壷に納める「部分拾骨」(骨壷は5寸以下)とにわかれる。

全部拾骨を基本にする東京などでは不思議がられることが多いが、私が暮らす京都では骨上げの際、頭骨から胸骨、背骨、骨盤、手足のそれぞれ一部のみ拾骨し、最後に喉ボトケを拾い上げる。残りの残骨灰は火葬場に置いて帰る。

残骨灰はその後、民間の回収業者に渡ることが多い。そして貴金属(金歯・銀歯など)と骨とに分けられ、骨はその後、合祀されるのだ。そう、火葬場は貴金属の「鉱山」でもあるのだ。ちなみに京都市の火葬場では残骨灰は外部業者に渡すことはせず、独自の施設で厳重に保存されているという。

火葬後拾骨の東と西』(日本葬送文化学会編、日本経済評論社)によれば、全部拾骨と部分拾骨の分かれ目は糸魚川静岡構造線の西側、能登半島の根幹部(石川県)から浜名湖の西側(静岡県と愛知県の県境あたり)に抜けるラインである。厳密には糸魚川静岡構造線上ではなく、構造線の西にそびえる日本アルプスを越えたラインで火葬の習俗がわかれる。

地図でいえば、富山や石川の火葬場は北部が全部拾骨、南部が部分拾骨になっている。長野では全域で全部拾骨であるのに対し、岐阜のすべての火葬場は部分拾骨である。静岡と愛知では、県境あたりにある複数の火葬場で全体拾骨と部分拾骨が混在している。

(左)大きさの違う骨壷、(右)火葬場にて

こうした習俗の違いは時に、葬送の現場で混乱を招く。東京育ちの人が大阪に引っ越し、火葬に立ち会った際に全部遺骨を持って帰れずにショックを受けたという話はしばしば聞く。

また、昨今、墓を移動する「改葬」が増えているが、たとえば全部拾骨の東京の墓や納骨堂から、部分収骨の大阪へと改葬する際、骨壷が大きすぎてカロート(納骨室)に入りきらないこともある。そうした場合、粉骨して容量を少なくするか、遺骨の大部分を合祀墓に入れることになるが、東京出身者は「全部を納骨したいのに」と、心中穏やかではなさそうである。

また、関西では納骨の際、骨壷から遺骨を出し、土に還すタイプの埋葬法をとる。つまり関西の墓のカロートは、遺骨で満杯になるようなことがない。古い先祖の遺骨を西から東へと改葬する場合、「骨」というより、「土」を移動することになる。

今後、地方から都市部への人口の流出、それに伴う改葬の増加によって、東西葬送文化の違いを巡る問題があちこちで浮上しそうである。

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