親安倍から反安倍に一転

中山体制下にて、次世代の党は「日本のこころを大切にする党」への党名変更を行った。略称は「こころ」だったが、同党を揶揄する一部のネットスラングでは「日コロ」などと言う別称も出た(その後、「日本のこころ」へ再度改名)。いずれにせよこの時点でいずれ行われるであろう衆議院選挙での党勢回復は全く望めないのだった。危機感を覚えた幹事長代理の和田政宗は、離党して自民党に入党した。いよいよ「こころ」の立場は危うくなった。

古谷経衡『女政治家の通信簿』(小学館新書)

2017年9月。週刊誌、テレビ、SNS、全国を熱狂させている「小池劇場」の進展を眺めていた中山恭子は、同党を離党し小池率いる「希望の党」に夫の中山成彬とともに入党した。

これは中山恭子にとって重大な政策転換であった。「希望の党」入党に際し、それまで「森友学園・加計学園」(モリカケ)問題について、安倍総理に全く瑕疵は無い、と政権擁護を繰り返していた夫妻が、一転して「モリカケは問題だ」として反安倍・反自民への立場に180度転換したのである。

小池にとって旧次世代の党の領袖を自らに加えることは、「希望の党が保守層へとウイングを広げること」との野心があったとされるが、逆に保守層は中山夫妻への反発を深めた。「モリカケ問題なし」から「モリカケ問題あり」と親安倍から反安倍に転向したことは、「モリカケ問題は朝日新聞の捏造」とまで糾弾の度を強める保守派にとっては許しがたい裏切り行為と映ったのである。

小早川秀秋の裏切りに似ている

中山恭子は参議院議員なので2017年衆院選は関係が無い。しかし長らく下野が続き自民党からも除名され、冬の時代を生きてきた夫・中山成彬を第一におもんぱかっての「希望の党」入党であろう。事実中山成彬は「希望の党」から公認をもらって同選挙の比例九州ブロックで当選し、代議士に復帰した。

ところが総選挙後、「希望の党」が立憲民主党に及ばない野党第二党の結果に終わると、中山恭子、成彬夫妻は、同じく旧次世代の党から「希望の党」に入党してきた松沢成文らと合議して、再度「希望の党」からの分党を計画していることが報道された。拉致問題に熱心な愛国政治家として自民党下野時代に盛んに保守系論壇誌に登場していた中山恭子、成彬夫妻に対して保守層は急速に冷淡な態度を示している。

常に夫と行動する中山恭子の姿勢は、よく言えば「古き良き日本女性」による内助の功というやつかもしれないが、一度でも安倍に敵対する小池にすり寄った、という事実を裏切りと考える保守派に、再度の中山人気は起こらないであろう。

元々態度が違う正反対の人よりも、一旦身内と認識したものに裏切られたと感じたときの憎悪は激しい。大谷吉継が小早川秀秋の裏切りに「三年の間に祟りをなさん」と叫んで自害した故事に似ている。やはり真の敵は遠くの敵よりも近くの元味方なのである。(文中敬称略)

関連記事
主張が"打倒左翼"しかない"オタサーの姫"
ネット右翼のアイドルはこうして自滅した
学生時代から変わらない安倍首相の頭の中
あなたは鳩山由紀夫の学術論文を読んだか
"変態コレクター"を名乗る昭恵夫人の本心