成果主義は個人ではなく、チーム対象に

それでも成果主義を敷きたいのなら、業績が上がった場合の評価は部署の所属メンバー1人ひとりでなく、チーム単位にするといい。グループ全員が力を出し合って、より大きな成果が出る仕事があるためだ。あるいは部下の教育で功績を示した人や、相談に乗ってあげられた人に対して、もっとプラスの評価を与えてみてはどうか。この評価は、デジタル式の現行システムでは、たぶん査定できない。

一方、必達目標など立てようとしても立たない仕事がある。売り上げにはあまり貢献しないが、後世に伝えねばならないような地味な仕事や、間接部門がそうだ。そうしたエリアで仕事をする人たちは、必達目標を無理やりひねり出したり、部下の評価に悩んだりして脱毛症や胃潰瘍になった例もある。考えてみれば、これほどムダなこともない。

映画の製作委員会などは1本の映画のために資金調達や製作、PRなどの専門スタッフが集まって興行の準備に取り掛かる。映画が成功するとともに喜び合い、売り上げを分けて解散していく。新タイプの派閥と異なるのは、目的意識や結束力がはっきりしていること。こういったプロジェクトは最近増えているが、新しい仕事形態のお手本になると私は考える。

どんな集団でも、チームのスクラムをがっちり組むには、意識の共通をねらった関係者全員の参加によるフリートーキングが望ましい。全員参加などムリだと思ったら、そこで終わり。危険を顧みずまずやってみよう。真摯な意見が複数出てくるはずだ。仮に悲惨な結果に終わっても、結論に至らなかったというだけ。失望することはない。

チーム内で個人が働くスタイルとしては「サーファー型労働」をお勧めする。サーファーたちは、うまい人が乗った波に自分も乗ろうと安易に思わない。自分の腕に即した波が来たら、それぞれが勝手に波乗りを始める。ここが、成果主義の一斉スタート型との大きな違いだ。だれかについていこうなどと思わず、純粋に自分が楽しいからやる。仕事にもこういったスタンスが望まれる。一見、1人ひとりがばらばらに見えても、目標や状況の認識を共有することができていれば、チームとしての業績が上がると同時に、個人の働きがいも高まるだろう。

(大熊文子=構成)