人事評価や異動を本人が不本意だと感じても、なかなか異議申し立てはしにくい。組織開発の専門家である勅使川原真衣さんは「社員が裁判を起こすような企業での深刻なトラブルを見ていると、能力主義の名のもとに一方的な人事評価や処遇が個人の口を塞ぎ、社員の傷ついた経験が『言えないから癒えない』状態をもたらしている」という――。

※本稿は、勅使川原真衣『職場で傷つく リーダーのための「傷つき」から始める組織開発』(大和書房)の一部を再編集したものです。

仕事中に書類を破く女性
写真=iStock.com/ChadaYui
※写真はイメージです

ディスコミュニケーションの原因となる「職場での傷つき」

この記事ではこの「傷つき」の話をしようと思います。

それもあえて、仕事における「傷つき」をひも解こうとしています。

なぜか。私が組織開発者として人間関係のトラブルを抱えた数々の職場に分け入り、当事者たちと対話するなかで、いよいよ本題に入ったサインが意外にも、

「要は自分、『傷ついている』っていうことなのかも」

ということばが本人の口から出たタイミングだと、常々感じてきたからです。

これまで「もやもや」ということばでそれなりに表現されてきましたが、「傷つき」を自覚し、ことばにしてはじめて、事態が好転していくことをいく度となく、さまざな職場で目の当たりにしてきたのです。

これまで職場で「傷つきました」と言うのはタブーだった

「いやー、でも職場で『傷つき』なんてそうそう聞かないですけどねぇ」とおっしゃる方もいるでしょう。たしかに、「職場で傷ついた」と口にしてみても……違和感がありますよね。

自分でさえ、書けど、読み上げれど、不慣れというか、馴染なじみがないというか。ずっと「職場」やそこに渦巻く感情を仕事にしてきた私であっても、聞き覚えのないフレーズなわけです。

ですが私は、このひっかかりにこそ、いっそう着目すべきと考えます。

というのも、人生の多くを費やし、心血注ぐ場である「職場」と、同じく実生活・実社会において多々経験する「傷つき」が同時に使われてきていないのだとしたら、これはやはり、奇妙なことだからです。

「職場で傷つく」ということは、おそらく十中八九起きていることなのに、意図的に口外されない、なきものとされる――これはどういうことなのか?

もしかして、

「職場で傷ついた」と思わせないしかけがあったのではないか?
「職場で傷ついた」なんて言おうにもその口は塞がれてきたのではないか?

そんな問いが、にわかにわき上がってくるのです。