「おとなしい」という資質が「使えないやつ」という評価に

取材記事によると、「積極性がない」といったことが書かれていたとありました。つまり、この新聞記事の見出しにもありますが、「おとなしい」という本人の資質をもっともらしく一方的に「評価」して、「使えないやつ」として外の部署に切り出してしまう。この一方的、一面的な評価が暴力的だと思うのです。

そして、訴訟を起こすほど奮起する前には、悲しみ、いらだち、疑心、焦燥感……さまざまな「傷つき」があったことは誰しも想像できるのではないでしょうか。

会社を相手に裁判をする、なんて、したくてする人はまずもっていません。相当追い込まれた状況であり、会社側としては、相当やらかした(相互理解のための適切なプロセスを踏まず、強引な人事施策に及んだ)事案と言えましょう。

もう1つ、類似した重要な事例がありますので、紹介させてください。

出産後、部下ゼロになったのに「リーダーシップ不足」の評価

とある外資のクレジットカード会社の社員が会社を相手取って起こした裁判の事例です。原告は営業をリードしてきたある女性社員で、妊娠前は37名の部下を率いるも、育休前後に副社長から直々に、「チームリーダーは乳児を抱えて定時で帰宅できる職務ではない」「自分でペースをハンドルできる仕事のほうがいい」「1年半以上休んでいてブランクが長く、復職しても休暇が多いからチームリーダーとして適切ではない」などと言われたうえ、育休後に復帰すると、「冷遇」と言って差し支えない配置転換や職務命令を受けた(部下はゼロに、また職務は電話営業専任にされた)と言います。

一審はこれを「通常の人事異動」として訴えを退けた、というのもびっくりなのですが、注目すべきはその合理性の1つに、彼女への人事評価が挙げられた点です。彼女は「リーダーシップ」という人事評価項目で最低評価をつけられていたのです。まるで「部下を大勢束ね、率いるなんて無理でしょう?」と烙印を押されたかのように異動は「致し方ない処遇」に仕立てられた、と。

しかし控訴審はこれを「人事権の乱用」として、一審を覆したことが2023年春頃話題になりました。先のリーダーシップについては、「部下をつけない人事異動を強いたのだから、リーダーシップなんて発揮しようがないでしょうが!」と実に真っ当な判断がされ、損害賠償命令が下されたのでした。

納得のしようがない冷遇。このワーキングマザーは、その憤りを裁判という形に変え、法律家の適切な支えもあって切り抜けましたが、かつての尽力と偉業を無下にされた気持ちは、想像するだけで胸が痛みます。

パソコンに向かい仕事をする女性
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