実は、このような大学は東京医大以外にもある。現在、都内には13の医学部があり、東京大学と東京医科歯科大学を除く11は私大だ。このうち、戦前の医科大学を母体にするのは、日本医科、順天堂、慈恵医大、東京医科、東京女子医科、昭和、東邦大学の7つだ。
この中で戦前からの大学は慈恵医科と日本医科大学。慶応大学と並んで私学御三家といわれる。この3大学に加えて、最近、評価が急上昇中なのが順天堂大学だ。
山手線の「中」か「外」かで、権力関係がすけてみえる
慈恵医大は薩摩藩士だった高木兼寛が設立した。皇室との縁も深い。そもそも慈恵という名は昭憲皇太后(明治天皇の皇后)から賜った。1887年には昭憲皇太后を総裁に迎えた。現在も、慈恵看護専門学校を経営する公益社団法人東京慈恵会の総裁は、寛仁親王妃信子様が務めている。
慶大医学部は1858年に福沢諭吉が立ち上げた慶應義塾に由来する。医学部は1917年に伝染病研究所(現東大医科学研究所)を「追放」された北里柴三郎が立ち上げる。北里は熊本藩出身だ。
明治政府を仕切った薩摩藩や福澤諭吉らに伍して、越後長岡藩出身の長谷川泰が医学校を立ち上げた気概は想像するにあまりある。東京医大は、その流れを汲む。
ちなみに東京女子医大の創設者である吉岡弥生は徳川家のお膝元である遠江出身だ。1889年に上京し、済生学舎(現日本医大)に学んだ。
慈恵医大や慶応大学が山の手線内部の都心中心部にあるのに対し、日本医大・東京医大・東京女子医大は山の手線沿線にある。当時の郊外だったからだろう。
そして、現在、東京女子医大と日本医大は経営危機にある。慈恵医大や慶大の経営状況とは対照的だ。私は、明治以来の人脈や権力との関係が両校を後押ししていると考えている。
このような背景を考えると、東京医大が文科省にすがった理由が見えてくる。