東京医科大学(東京都新宿区)で、官僚子弟の「裏口入学」や女性受験者の一律減点といった問題が次々と明らかになっている。問題の背景になにがあったのか。そのひとつはゆがんだ「官僚信仰」だったようだ。医療ガバナンス研究所の上昌広理事長は「2010年に厚労省OBを理事長として受け入れ、その“うまみ”を知ったことから、『官僚に頼れば問題は解決できる』と考えるようになったのではないか」と指摘する――。(前編、全2回)
不正入試/調査結果を発表する委員長 東京医科大学の不正入試問題について、記者会見で調査結果を発表する内部調査委員会の中井憲治委員長(右)=7日、東京都新宿区(写真=時事通信フォト)

なぜ東京医大は「官」に接近したのか

東京医大は、文部科学省の科学技術・学術政策局長だった佐野太容疑者に、「私立大学研究ブランディング事業」の支援対象選定で便宜を図るように依頼した見返りとして、息子を不正に入学させたことが明らかとなっている。

なぜ東京医大は文科省の支援対象に選ばれたいと考えたのか。文科省からの補助金は3500万円で、大きな金額ではない。そして、あまり報じられていないが、東京医大の経営はきわめて順調なのだ。

同大学の平成29年度の財務報告によると、基本金組入前当年度収支差額(当年度の収支均衡を見るための指標)は20億8324万円増加し、その要因は3病院の医療収支と付随事業の収支改善だという。学校法人で、本業の収支を示す「教育活動収支差額」は前年度比で20億3134万円も増加している。

東京医大の流動比率は420%と手元資金は豊富で、自己資本比率は64%と良好だ。固定比率が111%と若干高いものの、大きな問題にはならない。教育および病院経営などの本業の業務収益(教育活動収入)に占める補助金収入の割合は3.1%で、都内11の私立医大では最低だ。

病院経営に詳しい上田和朗税理士は「(臼井正彦・前理事長は)文科官僚に接近し、補助金を欲したのは経営上の問題でないことは明らか」という。私は、この点にこそ、東京医大の迷走を解き明かす鍵だと思う。つまり「なぜ東京医大は官に接近したのか」を考えるべきなのだ。

そもそも東京医大は薩長に頼らない民の大学だった

ここで東京医大の歴史が重要になる。同大学は、1916年、日本医学専門学校(現日本医科大)の学生約450人が同盟退学し、東京物理学校(現東京理科大)内に東京医学講習所を開設したことに始まる。

日本医科大は、1876年に越後長岡藩の藩医であった長谷川泰が設立した済生学舎に始まる。明治から戦前にかけての日本は薩長藩閥によって仕切られてきた。東京医大は薩長に頼らない民の大学だった。