高卒後、コロプラでベンチャーへの投資を担当

【田原】東京で仕事は見つかった?

【久保田】実は「大学生です」と嘘をついてインターンに応募したこともありました。当時、賞金付きのサマーインターンが流行っていて、学生でなければ応募できなかったので。

【田原】大胆だね。でも、バレない?

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所入社。東京12チャンネル(現テレビ東京)を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。本連載を収録した『起業家のように考える。』(小社刊)ほか、『日本の戦争』など著書多数。

【久保田】もちろん、どこかの段階でバレます。すると、企業の方からは「内定出したいけど高卒は困る。どこでもいいから大学を出てくれ」と言われました。現時点で内定を出すくらいの評価をしてもらえているのに、そこから大学に通う意味がわからない。就職の資格を得るための大学なら、僕は行きたくないなと。

【田原】結局、どうしたのですか。

【久保田】当時アルバイトしていたベンチャー企業に雇ってもらうことができました。そこでホームページをつくる事業や経営企画の仕事をしていました。

【田原】その後はどうしたの?

【久保田】そこから独立するか悩んだのですが、縁があってコロプラというゲーム会社に転職しました。

【田原】コロプラでは何をやったの?

【久保田】はじめはマーケティングや経営企画の仕事で応募したのですが、最終的には、新卒採用と投資子会社を運営する部門で採用されました。当時、コロプラは学生や30歳以下の起業家に投資するためにコロプラネクストという子会社をつくって、若手の起業家支援をしようとしていました。ただ、会社には20代に接触している人が少なかった。一方、僕はそのころ20歳で、学生じゃないからフルタイムで働ける。要件的にちょうどよかったのだと思います。

【田原】そこでは具体的にどんな仕事をしていたのですか?

【久保田】起業家を探してくるところから、彼らと出資の交渉をしたり、契約書の作成、投資後のフォロー、コワーキングスペースの運用まで、とにかく何でもやりました。大きな投資会社ではそれらの仕事を分担してやりますが、コロプラでは担当者は僕だけ。必然的に1人ですべてやらざるをえませんでしたが、おかげでものすごく勉強になったし、楽しかったです。

【田原】何社くらい担当しましたか。

【久保田】コロプラにいた2年で、15社ほど担当しました。