経理課での長い経験は、ビジネス人生の基盤となった。予算管理や決算で、部門ごとに原価計算も含めて管理会計をやった。当然、工場ごとの原価やコスト削減の差もみえて、会社全体を知る。冒頭の合併比率を任された由縁だ。
秩父小野田は98年秋、日本セメントと合併し、太平洋セメントが発足した。このときも、合併比率を受け持った。経理部長や人事部長を務め、人減らしも手がける。
常務執行役員のとき、東日本大震災の津波で、大船渡工場が大きな被害を受けた。社内で閉鎖論が起きたが、再興を主張する。初任地への郷愁からではない。復興のシンボルとなり、再建のためのセメントを供給し、工場を動かして瓦礫の処理を引き受ける。負担は大きいが、公募増資で300億円を捻出した。こういうときこそ、「識其大者」が求められる。
2012年4月、復興のさなかに社長に就任、2カ月後に大船渡工場が復旧した。在任6年、中期経営計画を2度つくり、女性の登用を明示する。採用では必ず30%以上とし、2020年までに従業員と新任管理職とも10%以上の比率にする目標だ。人口減の日本、男性しか活躍できない会社にしてしまったら、成り立たない。
セメント業界は、震災復興や老朽化したインフラの耐震化など、大きなテーマに取り組める。建設業界の「けんせつ小町」と同様に「自分たちがこれをつくった」というのは、醍醐味に違いない。急には増やせないが、目標を掲げて満3年、順調に進んでいる。合併ではないが、「比率」には強い。
1951年、山梨県生まれ。74年福島大学経済学部卒業後、小野田セメント入社。99年太平洋セメント経理部長、2006年北陸支店長、08年執行役員・人事部長、10年取締役常務執行役員、12年4月より現職。