東京都檜原村で、若者4人で立ち上げた林業ベンチャー、東京チェンソーズ。衰退産業といわれて久しいこの分野で、彼らは一体何に挑戦しようとしているのか。日本の森に魅せられた、元探検部出身社長の起業奮闘記。

植村直己に憧れて、大学で探検部へ

【田原】青木さんは東京都の檜原村で林業のベンチャーをやってらっしゃる。檜原村は、いま人口はどれくらいですか?

【青木】約2200人です。島を除くと東京で唯一の「村」になります。

【田原】青木さんは檜原村ではなくて大阪のご出身ですね。

【青木】大阪の此花区で生まれて、11歳まで過ごしました。小さいころは自然の中で遊ぶことが好きな子どもでした。うちのまわりはどぶ川くらいしかなかったのですが、母の実家が岩手の久慈市で、夏休みは自然の中を駆け回っていました。

【田原】中学のころに『植村直己物語』という映画を観て影響を受けたとか。どういうことですか。

【青木】子どものころから「将来は自然の中で働きたい」と漠然と考えていましたが、具体的な職業のイメージは何もありませんでした。そんなときにたまたま観たのが『植村直己物語』。冒険を仕事にしている人がいると知って、自分もああなれたらいいなと。

【田原】登山家じゃなくて冒険家?

【青木】登山家にも憧れました。ただ、鹿児島大学のワンダーフォーゲル部だった親から「未踏峰の山は残り少ない」と聞かされて、それなら未開の地をゆく探検家のほうがおもしろそうだと思いました。当時、探検部で有名だったのが東京農業大学。ここの林学科に進学したのが林業との出合いになります。

【田原】探検部って何をするんですか。

【青木】農大の探検部は本格的で、じつはメコン川の源流に初航下をしたのも私たちの先輩です。私も学生のころはその源流から航下する探検に参加させてもらいました。

【田原】卒業後は出版社に就職する。

【青木】じつはメコン川航下に参加するため、卒業してから1年間、研究生という形で大学に残りました。もう新卒ではないし、探検で忙しかったから、就活も適当です。入れてくれるならどこでもいいという気持ちでやったら、英語教材を販売する出版社が採用してくれました。その会社には1年いましたが、ずっと電話営業していました。